阪神淡路大震災の頃、私の母が『もし避難する事になったらこれを持っていくんやで。』と太くて分厚い見たこともないアルバムを私に押し付けてきたのです。「何これ?!」小学校中学年の私にこんな重いものを持って歩くなんて不可能に近い。。命あってのアルバム。まずは自分の命を守る事が大切なんちがうの。いざとなれば身一つで避難でしょ。心の中で突っ込み、母の返答を待つ。『あんたの小さい頃の写真。』それは、私の生まれた時からの写真だそうで、生まれてこの方それを見せてもらった事もなく残念ながら私にはただの重たいお荷物でしかありませんでした。。「そんなん一度も見た事ないけど。。」呆れる私に『アルバムが汚れるから見せた事ないわ。』と真面目に答える母親。いやいや。そんなん避難する時もいらんし、私にはなんの思い入れもない。一生必要ないわ。あの頃の私は自分の顔が大嫌いで、鏡を見るのも嫌でした。今思えば、親から正当な評価をされた事もなく自己肯定感がとても低かったのです。母親(毒親)に対する不平不満はさておき、私の中でアルバム=親のエゴとなった瞬間でした。そんな私が長男を出産し手にした物は、カメラでした。今は画素数も上がってスマホ一択ですが。可愛いわが子を一瞬たりとも逃すことなく写真に残したい!!日々成長し、戻らないこの可愛い今の姿を残したい!!のです。中学生になった今の長男も可愛いのですが、「こんなんだったんだよー。」と写真を見せるとラブリーさが一目瞭然な訳です。写真は私のエゴなんです。「写真撮らせてね。みんなが大人になったら母は寂しいから、おばあちゃんになったらみんなの写真いっぱい見とくねん。」「墓場に持って行かせて。」とお願いして毎回撮らせてもらっています。