時空を超えて生きる 著.Kan
マザー・テレサがいよいよ最期を迎えるというとき、
イエスが来るかも知れないと期待していた所に現れたのは、
「悪魔」でした。
それで、彼女はヴァチカンに悪魔祓い(エクソシスト)を依頼し、実際に執り行われましたが、
悪魔は立ち去りませんでした。
マザー・テレサは落胆し、落ちるところまで落ちたその時、
ふっと悟りがやってきます。
「私は、どんな病気にかかった人であろうが、どんな状態の人であろうが、
無条件に受け入れた。
たとえ患部から膿が出ていようが、接吻して、看取ってきた。
そうか。
私が最期にハグをしなければならないのは、悪魔かもしれない」
そうして、マザー・テレサは悪魔とハグをしました。
キリスト教徒にとって悪魔というのは、私達日本人には想像できない程の深い概念を内包するものです。
この時のマザー・テレサの覚悟を思うと、いかばかりだったかと想像を絶するものがあります。
そうして、悪魔は消えました。
その後にやってきたのは、
本当の悟りでした。
「悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね」
誰から見ても、清く生き、権力やお金を忌み嫌っていたという彼女は、
権力からの寄付を「そんなものは汚い」と、受け取りを拒否したといいます。
それは、やはり裁く自分がいたからです。
清く生きるという事の中に、どこかに否定する自分がいたのです。
だから、最期に反対側の自分がちゃんとやってきました。
それが自分には悪魔に見えたけれど、ハグする事ができて、
本当の統合が起こりました。
そうして亡くなっていきました。
(文中より抜粋)
マザー・テレサがいよいよ最期を迎えるというとき、
イエスが来るかも知れないと期待していた所に現れたのは、
「悪魔」でした。
それで、彼女はヴァチカンに悪魔祓い(エクソシスト)を依頼し、実際に執り行われましたが、
悪魔は立ち去りませんでした。
マザー・テレサは落胆し、落ちるところまで落ちたその時、
ふっと悟りがやってきます。
「私は、どんな病気にかかった人であろうが、どんな状態の人であろうが、
無条件に受け入れた。
たとえ患部から膿が出ていようが、接吻して、看取ってきた。
そうか。
私が最期にハグをしなければならないのは、悪魔かもしれない」
そうして、マザー・テレサは悪魔とハグをしました。
キリスト教徒にとって悪魔というのは、私達日本人には想像できない程の深い概念を内包するものです。
この時のマザー・テレサの覚悟を思うと、いかばかりだったかと想像を絶するものがあります。
そうして、悪魔は消えました。
その後にやってきたのは、
本当の悟りでした。
「悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね」
誰から見ても、清く生き、権力やお金を忌み嫌っていたという彼女は、
権力からの寄付を「そんなものは汚い」と、受け取りを拒否したといいます。
それは、やはり裁く自分がいたからです。
清く生きるという事の中に、どこかに否定する自分がいたのです。
だから、最期に反対側の自分がちゃんとやってきました。
それが自分には悪魔に見えたけれど、ハグする事ができて、
本当の統合が起こりました。
そうして亡くなっていきました。
(文中より抜粋)