『 0.8 別れの予感 』

 

 

今日の彼女はいつもと違っていた。

彼女の方からいつものホテルに誘ってきたのだ

「今日、話したい事があるの。」

そう言って。

わざわざこんな台風が近づいている日に。

 

僕は「話したい事」の内容が気になって落ち着かない様子を隠すように

先に部屋で待っていた彼女になるべく自然に声をかけた

「ただいまー。お疲れ様―。」

彼女も“なるべく自然に”と言う意図を汲んでくれたようで

「お疲れ様――」と笑顔で返してくれた。

彼女の仕事は今日も中々にハードだったようだ。いつもの様に知的でウイットに富んだ話を聞かせてくれる。

そして合間合間には「あなたは見た目より意外と大人ね」とか「話す言葉選びが好き」とかやんわりリスペクトしてくれる。男という生き物はそういうのに弱い物だ。

彼女の声は耳に心地よく、なんでも話してくれる様子に「信頼してくれている」という安心感を覚えていた。

 

彼女の近況報告も終わり、カクテルも飲み終えてしまった。

そしていつものように僕は彼女の匂いの中に引き込まれて行く

 

今日の彼女はいつもと違っていた。

情熱的な感情がとめどなく伝わって来る。

こんなに混ざりあえるのなら「話したい事」の内容は危惧したようなものではないのだろうか。

僕は片隅にあった不安を捨て、巻き取られるように夢中になっていった。

 

 

「年上の女性には気をつけろ」

よくそんな言葉を聞く。でもどう気を付けたら良かったんだ。

 

 

 

   『 0.1 至るまでの回想 』

 

 

僕が彼女に初めて会ったのも雨の日の夜だった。

仕事の終わりが夜を超え次の日になるのは当たり前のようになっていて、そんな中でも少し仕事以外の空気を味わいたいと思ったそんな日、街についている明かりの中でなるべく小さい場所に入った。

そのバーは小ぢんまりとした中にもレトロな装飾がお洒落な店内で、10人も入ったら一杯だろうという大きさの店だった。

僕以外に女性が一人、マスターと談笑をしていた。

こんな店に一人で入るのは初めてだが、多分イチゲンの客は入り口側に座るものだろう。

カウンターの端に座るとお洒落なお店の雰囲気とは裏腹に愛想のいいマスターが殻付きのピーナッツを出しながら声をかけてくれた。

「いらっしゃい。はじめましてだよね?」

「はい。そうです。はじめまして。」

「なに飲む?」

僕は無難にブルドックを頼んだ。

手際よく作られたカクテルを軽い会釈で受け取ると、4つ先のカウンター席座っていた女性が話しかけてきた。

「あなた、奇麗な顔してるわね。大変ね。」

「・・・大変?」

僕は“綺麗な顔”を否定したくて

「大変・・・ではないです。」

と答えた。女性は

「そう?よかった。奇麗じゃない私の方が大変かもしれないわねー」

と少し笑った。

「お姉さん、奇麗だと思いますよ。」

正直な言葉がつい出てしまった。取り立てて美人と言う訳ではないが、たおやかな中にも芯のある空気を纏った人だった。

バーの薄暗い照明は女性を奇麗に見せるのだろうか。

彼女は

「そんな定型の誉め言葉、覚えなくてもいいのに。」

「いや、いや、そういうんじゃないです。」

と慌てる僕を和ませるかのように女性は笑った。

 

僕は15分ほどマスターとその女性のおしゃべりを聞いていた。

彼女は銀行で何かを監視する仕事をしていて毎日忙しい様だ。婚期を逃したことを後悔しているとか、飼い犬の世話を又頼みたいとか、今仕事が忙しすぎて会社の近くのホテルに泊まっているだとかそんな話だが、なぜか彼女の言葉は暖かく興味を刺激した。

 

彼女の話が尽き、ホテルに戻るという。僕は最後に

「あの、さっきの“大変ね”ってどういう意味だったんですか?」

と声をかけた。

すると彼女はこのバーのロゴが入ったマッチ箱にホテルの名前とルームナンバーを書いて僕の胸のポケットにいれた。

 

 

 

  本当は僕はもう、初めの一言から彼女が気になって仕方なかったんだ。

 

 

 

   『 0.9 別れの来訪 』

 

 

「秘密にしてたのね。」

彼女はそう言った。

「え?何を?」

僕は何か自分にやましいことが無いか必死に探していた。何か彼女に隠すような事をしただろうか。

彼女は話はじめた。これが“今日話したい事”なのだろう。

「仕事の訪問先でね、たまたまラジオが流れていたの。音楽番組だったんだけど、そこで話していたアーティストの声が私の知っている人にとても良く似ていたのよ。」

「!!」

「今年デビューしたんだってね。おめでとう。でもこんなに人気になったらすぐバレちゃうわよ。」

いつものように優しく撫でてゆく声でそう言った。彼女は身支度を始めて一度もこちらを見ない。

その様子は戦いに行く支度をしている様にも見えた。僕は

「秘密にしていたわけじゃないよ。」

そう言うので精いっぱいだった。

「はじめはね、少し悪い仕事の人かもとも思っていたけど、真面目だしなんか違うなって。でも言いたくない様な事は聞かないようにしようって思ってた。セフレであっても美しい関係で居たいでしょ?」

僕はその棘のある彼女の言葉にカッとなった。

「どうしてセフレなんて言うの?!そんなんじゃない!」

彼女は声を荒げることもなくこう言った。

「いつでも会うのはこのホテル。お互いに気は合ったと思うけどホテルでしか会わない関係っていったい何なんだろう。」

僕は返す言葉を失った。彼女はわざと僕を怒らせている様だった。

そして遂に切り出されてしまった。

「今日で最後にしましょう。携帯の連絡先ももう消したわ。あなたもお願いね。」

僕は慌てた。

「まって、まって、どうしてそうなるの?仕事の事は言ってなかったけど、別に何かダマそうとした訳でもないし、こんなのおかしいよ。なんで!」

彼女はゆっくりと振り向いて僕の目をまっすぐに見た。

「面倒に巻き込まれたくないのよ。堅めの仕事だし。わかるでしょ?」

 

 

 

 

   『 1 別れの始まり 』

 

雨は部屋の中からでも街路樹を揺らす音が聞こえるほどの風雨に変わっていた。

僕は自分の心の置き所がつかめずに、手際のよい彼女とは対照的に何をすればいいのか全く解らなかった。

本当にこんなに簡単に最後がやってくるものなのだろうか。

うそだろ?

 

彼女は僕の肩を抱いてこう言った

「最後だから近くまで送るわ。こんな日なら誰にも見つからないでしょ。15分後に下に車回すから。」

僕は最後の望みを持って彼女の目を覗き込んだ。少しの隙でもありはしないか、何か言えることはないかと。

しかし彼女の行動には少しのブレも無く、意思の強さは明白だった。

 

 

終わったんだ。

 

全身の力が抜けベッドに倒れこんだ。

 

 

 

     『 2 別れの道程 』

 

台風の警報が出ているようだ。

カーステレオのラジオは外出を避けるようにと警告している。

道には骨が折れてだらりとした傘が幾つも捨て置かれていた。

車のタイヤが水を蹴ってゆく音に囲まれ、二人きりの空間がより色濃くなる。

それなのに、この距離は?彼女はこんなにも遠くに居る全く別の全く知らない人間だったのか。

 

ホテル以外での彼女を見るのはこれで二度目だ。バーで出会った時の彼女とそして今。

彼女の表情から本心を盗み見ようとするが容易ではない。

ただ彼女の顔の上を街灯の明かりが次々と撫でては過ぎてゆく。

あの日も、こんな暗い明かりの中で「奇麗だ」と感じたんだ。

 

 

 

 

   『 3 別れの終末 』

 

 

最後のドライブの終末が近づいている。

彼女は何もしゃべらない。

僕が泣いているのはもう彼女は分かっているのだろう。でも僕はギリギリ大人らしく振舞おうとした。

「あなたの気持ちはどうなの。」

なるべく冷静にそう聞いた。

彼女は答えた。

 

「これしか選択肢はないの。」
 

「“さよなら”なの。」 /  「何のせい、誰のせいなのかな。」

 

僕は彼女の言葉に押し出されるようにして車を降りた。

こんな陳腐な言葉が最後なんて!彼女はこんな感情の無い話し方をする人だっただろうか?

いや、違う。

彼女はいつも理知的で正解を持っている、そういう人だ。

多分僕が理解できていないんだ。

 

「“さよなら”って」  /  「“誰のせい”って」

 

すがる気持ちを吐き出す。

でも彼女はもう二度と目を合わせなかった。

 

最低の日だ。こんな雨の中に捨て置かれる男。笑える。

夏なのに寒いな。

 

 

 

   『 4 別れの真実 』

 

 

胸のポケットに妙なシワが出来ている。何か入っている。

え?なんだ?これは彼女の仕業だ!

いつの間に?

 

いつものホテルの名前が入ったメモ帳にはこう書かれていた。

 

________________


 

良い時をありがとう。

遠くから応援しています。

活躍を心から願って。

 

________________


 

って あなた・・・