第一章
「捕手のリード論の出現」

昨今、捕手のリードについてはSNS上でも頻繁に議論が交わされるが、何故こんなにも不確定要素の多いリードというものに振り回されるのか、時を遡って私なりに検証してみた。

私が本格的に野球を見始めたのは小学3年生の時、長嶋茂雄が現役をやめて監督になった年(1975年)から。知っての通り巨人史上初の最下位になった年なのだが、その頃の野球中継は19:30〜21:00 で当然延長などなかった。プレイボールからはラジオで、テレビ中継終了後もラジオで野球を聴いていた。その頃捕手のリードについての実況を殆ど聞いたことがない。当然ラジオではそこまで説明出来る時間的余裕もないだろうし、テレビでは他の理由もある。何故ならその頃のテレビ中継はバックネット裏からの映像で、画面手前から主審、捕手、打者、投手の順に並ぶ。捕手など主審にほぼ隠れている状態だ。投手が投げたボールが真っ直ぐかカーブかの違いはなんとか判別出来たとして、スライダーなんて真っ直ぐと見分けはつかないしフォークボールなんてさっぱりだ。捕手がどこに構えたとか今のが逆球だったとかとてもじゃないがわからない。だから今のはストライクだろ?ボールだろ?なんて、現在のようにテレビ前で主審に文句を言うことなんて無かった。この事から考えてもその頃のファンはどちらかというと打者目線で野球を観ていたという感覚だったのではないかと思う。
その後1977年パ・リーグから始まったセンターカメラでの中継をきっかけに翌年1978年からセ・リーグでもセンターカメラからの中継が始まる事となるのだか、さてここからである。
我々ファンはこの中継の変化により、投手の球種、球筋、捕手のキャッチング等、今までに無かった様々な情報を得る事になる。現在の中継が当たり前の人達にとっては至って普通の事だと思うが、我々世代では目の前がパッと明るくなったように感じる程だった。もっと上の世代の人達はバックネット裏の中継さえなかった訳なのでこの変化は劇的だっただろう。
この変化は当然捕手の要求と違う逆球であったり、自分なりのストライク・ボールの判定をしたり、変化球のキレであったりも目の当たりにする事になる。この頃からファンは打者目線から投手、あるいは捕手目線で野球を観ることに変化していったのではないかと思う。視点が変わったことで、打者の打撃だけではなく投手はどうやって抑えるのだろうという視点も増えたことになるのだ。

そしてそこにある要素がタイミング良く加わる。1980年に現役を引退した野村克也だ。野村氏は引退後解説者として捕手目線から今までになかった独自の切り口で野球解説を展開していった。やがて野球中継のマンネリ化を懸念したテレビ局側が何か良い案は無いかと野村氏に相談を持ちかけたところ、そこで生まれたのが1983年に始まったテレビ朝日による「野村スコープ」なのだ。ストライクゾーンを9分割に分け、投手の球種、コース、配球を細かく指摘していく野村氏の解説は次第に視聴者に支持されていく。私は丁度この頃、高校球児だったのでチームメイトともこの事は話題になり興味津々でこの解説にのめり込んでいった。
しかしここに私は現在の捕手のリード論に繋がるファンへの"洗脳"が始まったと考えているのである。

まず野村スコープを冷静に考えてみよう。野村氏の頭の中には投手の球種球速等のデータ、相手打者の特徴、ランナーの有無、試合の状況等、様々な情報を備えている。そこにこれまでの野村氏の捕手経験値を加味した上で、たった9分割の予想はそんなに難しいものだろうか。良く当たる占い師が個人的な事を言い当てるのとそんなに理屈は変わらないのではないかと思うのだ。例えば9分割と言っても初球から真ん中を予想する事はない。すると真ん中の縦のラインを消すことになり次は外角か内角の二者択一。というように予想はどんどん絞れてくるのだ。そして投手が一球投げる度に打者の反応を見て次を予想するのだからそんなに難しとは思わない。テレビを観ている人も野村氏の気持ちになって考え予想して当たった事など少なからずあるのではないだろうか。私はその程度の事だと思っている。野村氏が考えていることは当然打者だって考えるであろうし、野村氏のように経験を積んだ打者が野村氏のように配球を読めば、打者はもっと面白いように打てるようになってもおかしくないはずである。
しかしテレビでは、予想通りに打ち取れば「見事な捕手のリード」となり、打たれると「この捕手は何を考えているんだ」となり、予想が外れても打ち取ると「打者の裏をついた」というように解説されていくようになっていくのである。
これまでに見たことも聞いたこともない解説に、誰もが「なるほど」と納得し、ここに心理的な同調性が生まれ引き込まれていったのかもしれない。

そしてこの捕手のリード論を裏付けるような選手が、タイミング良く野村氏の前に現れる事になるのである。

明日、第二章
「捕手のリード論の浸透」に続く。