日本の国父。奈良の大仏は倭薈(いわい)である。(米田史学) | 6rosui8のブログ

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日本に国父と呼べる人はいた。逆賊「磐井の乱」(531)として教えられている、倭国王倭薈(いわい)である。32歳で大和朝廷に殺された。死後、阿弥陀如来として崇められ、神道では八幡大神として祀られ、全国に広まった。薬師寺本尊の薬師如来はその人であり、東大寺本尊盧遮那仏(大仏)はその人を祀ったものである。

 

「確かに500年代の人物を取り上げて、その人物が国父であると言っても信じ難いだろう。またその国父が現代日本人と結びつく存在であると理解するのは困難であろう。だがしかし、倭薈(いわい)を知れば、我々日本人の精神の深層を形成する人物であると理解するのは難しくない。」

 

壬申の乱(672)で倭国が滅んで以降、大和朝廷はその事実を徹底して消している。それが1350年を経て現在に至っている。でも消し去れない建築や歌や文学、美術作品がある。それらを紐解くことによって、少しずつ日本国家発祥の真の姿が浮かび上がってきた。

 

「国父とはその国での生き方、価値観を示した存在で、国民から父と慕われる。」