仲良しクラブではない | SM鹿鳴館復興計画

仲良しクラブではない

 マニアサロンと言ったところで、結局は、人の寄り合いである。人が寄り合えば、どうしても仲良しクラブ化してしまう。そうした傾向を持たせないのは難しい。難しいが、鹿鳴館サロンは、あえてそれをしたかったのだ。
 鹿鳴館サロンは、たくさんのルールやコンセプトに縛られている。しかし、そのルールの中に友情はない。あるとすればサロンに対する愛情ぐらいなのだ。つまり、今、サロンの中心にいる執事や舞衣さんと仲がいいことは、サロンの運営維持とはまったく無縁のことだということなのだ。
 しかし、そこがなかなか理解してもらえない。
 執事や舞衣さんとの仲良しクラブだと思っている人が多過ぎるのだ。鹿鳴館サロンが、その当初、もっとも嫌ったサロンの形態がそれだというのに。
 執事、つまり、私も人間であるから、嫌いな人もいれば好きな人もいる。しかし、それはサロンとは関係ないことなのだ。私が嫌いでもサロンで中心的に振る舞えばいいし、私が嫌いでもサロンでイベントを仕切っていいのである。もちろん、その人を好きか嫌いかということに関係なく、私も舞衣さんもできるかぎり協力することだろう。逆に、私がどんなに好きな人でも、その人が鹿鳴館サロンに合わないなら、その人の出入りは禁止せざるをえないのだ。それがサロンというものなのだ。
 私たちは、鹿鳴館というルールを見張っているに過ぎない。ルールが無視されるなら退場してもらうしかない。そのジャッジをしているだけなのだ。ジャッジするのに、その人間を好きか嫌いかとか、その相手が友達かどうかは考慮しないし、すべきではないのだ。
 鹿鳴館サロンは仲の良い友達の集まるサークルではない。同じ思いとか志を共有する同志の集まるサロンなのである。そのサロンが理想とするところも、何も私が理想とするところと完全に一致するというものでもないのだ。しかし、それでいいのだ。いや、そうでなければいけないのだ。鹿鳴館サロンは私のサロンではない。そこに集う人たちの理想が少し少し現実化していく、そうしたサロンなのだから。