ある女性が入所していた。

彼女は統合失調症の診断を受けていた。

20歳代の彼女には小学生の弟がいた。

当時5年生だっただろうか。

お母さんは毎月面会に来ていたが、いつも一人だった。

あるとき、お母さんに私は訪ねた。

「弟さんは、お姉ちゃんのことはどう思っているんですか」

お母さんは「(本人が)外泊してきても殆ど会話はないんです」と言う。

私はどうしたもんかと考えていた。お母さんが次に面会に来たときに、少し沈んだ顔で話された。

弟の学校で先生が精神薬について話したという。当時はオウム真理教が大きな事件を起こし、信者に向精神薬を服用させていたことも報道されていた。

そんなことから、先生は子供たちに話したのだろうかと想像した。弟さんはお母さんに言ったそうだ。

「お姉ちゃんは、そんな怖い薬を飲んでいるの」

「お姉ちゃんのオシッコは臭いもきつい。いやだ」

私は、お母さんにお願いした。

「今度、弟さんも連れてきてください」

翌月、その少年はお母さんと共に施設を訪れた。

表情固く、緊張なのか、拒絶なのか、その顔からは読み取れない。

私はどんなことを彼に伝えたのか、具体の言葉は恥ずかしながら思い出せない。

ただ、病気について、障害について、そして「精神薬は怖い薬ではない」ことを伝えた。

その後も、彼とは大学に入学し上京するまで施設や、自宅で会うことがあった。

お母さん、そしてそのお姉さん(彼女のおばさん)も含めて私に対する信頼と期待は、自分で言うのもおこがましいが、とても大きかったように思う。

彼が大学入学後、私は上京する機会があった。その事を知ったお母さんが「息子に会って来て欲しい」と頼まれた。住所を教えてもらい彼が住む最寄りの駅まで行ったが、彼には会うことなく戻って来てしまった。

あれから40年ほど過ぎているのだろうか。今、あのお母さんはどうしているのだろう。そして、彼はどうしているのだろう。

あのとき、彼と会わなかったことが、あの家族への裏切りのような感情として今だ消えない。

彼女はどうしているかというと、就労支援事業所で元気に働いていると風の便りで聞いた。