おはようございます❗


【かけがいのない存在】





角田陽一郎氏の心に響く言葉より…



あなたが「好きなこと」をやって評価を積み上げ、会社の中で「かけがいのない存在」、つまりナンバーワンの存在もしくはオンリーワンの存在であると周りから思われるようになったとしても、その地位が一瞬にして崩れ去ることがあります。


それは、ときにはあなたの能力や資質に関係なく起こります。


あなた自身に落ち度はなくても、たとえば部下が失敗したり、取引先が倒産したりして大きな損失が発生し、責任を取らされることもあるでしょう。


そうした不測の事態に対し、どのような心構えをしておくべきなのでしょうか?



その答えを明かす前に、まず「かけがいのない存在」とはどういう存在なのかについて、お話ししておきたいと思います。


「自分が担当していた職務が、組織替えなどの理由で突然変わったり、なくなったりしてしまう」というのは、どの企業でもよくあることです。


組織運営にとって、そうした新陳代謝はもちろん必要ですが、その職務に力を注いでいた個人としては、たまったものではありません。


多くの人は、自分が仕事に全身全霊を捧げ、手に入れたポジションは、自分だけのものであり、誰も代わりになれない「かけがいのない存在」だと思っているからです。


しかし実際には、組織はさらっと個人からそのポジションを奪い、ほかの誰かに与えることがあります。



組織の中では、個人は決して「かけがえのない存在」にはなれません。


なぜなら、ある人間が病気で欠勤したとしても、違う人が代わりに入り、その部署が正常に機能するようにしておかなければ、活動が止まってしまうからです。


どんな立場の人間でも同様です。


「今の社長がいなくなったら、会社はもう終わりだ」といった状況に陥るのを避けるため、たとえ今の社長に何かあっても、すぐに代わりを立て、会社が維持できるようにしておく。


それが、組織の正しいあり方です。



僕は、会社を2016年に辞めました。 


そこにはおそらく、「かけがいのない存在」になりたい、という気持ちもあったのだと思います。


「かけがいのない存在」になれば、その分、リスクや責任も背負うことになりますが、それを受け入れる覚悟で外に出たのです。


しかし、退職した後、あるきっかけにより、そんな考えが大きく変わりました。



翻訳について語られている、村上春樹さんと柴田元幸さんの共著『翻訳夜話』を読んだところ、村上さんの発言の中に、まさに、この「かけがえ」に関する部分があったのです。


「僕が言いたいのは、非常に不思議なことで、僕もまだ自分の中でよく説明できないんですけど、『自分がかけがえのある人間かどうか』という命題があるわけです。


会社はかけがえのない人に来られちゃうと困っちゃうわけです。


誰かが急にいなくなって、それで(会社)が潰れちゃうと大変だから。


その対極にあるのが小説家なわけです」



この部分を読んで、先ず思ったのは、「だから村上さんは小説家をやっているんだ」ということでした。


ところが、話はまったく違いました。


村上さんは、小説家としての自分も「かけがえのない存在ではない」と言うのです。


自分は、たしかに取り替え可能な存在ではないかもしれないが、自分が死んでも、日本の文学界が混乱を来すわけではない、と。



「心が崩れる音がした」という表現がありますが、この部分を読み、理解した瞬間、本当に音が聞こえたような気がしました。


「かけがえのない存在」になりたくて会社を出た自分って、一体…。



組織を出て、自分の名前で勝負することは、実は組織の中にいたとき以上に、取り替え可能な、「かけがえのある存在」になることだったのです。


村上春樹さんは偉大な作家ですが、ご本人が言うように、彼がいなくなったとしても、おそらくほかの作家の小説が読まれるだけでしょう。


芸能人にしても、ミュージシャンにしても、同様です。


その人がいなくなれば、別の誰かがテレビに登場し、別の誰かの音楽が聴かれるようになるだけなのです。



では、「かけがえのない存在」とは何でしょうか?


この問いに対して、村上さんは、きちんと答えを用意してくれていました。



「でもね、僕が翻訳をやっているときは、自分がかけがえがないと感じるのね、不思議に。


だって翻訳者こそ、いくらでもかけがえがあるみたいな気がしますよね。


でも、そのときはそうじゃないんだよね。


結局、厳然たるテキストがあって、読者がいて、間に仲介者である僕がいるという、その三位一体みたいな世界があるんですよ。


僕以外にカーヴァーを訳せる人がいっぱいいるし、或いは僕以外にフィッツジェラルドを訳せる人もいる。


しかし僕が訳すようには訳せないはずだと、そう確信する瞬間があるんです。


かけがえがないというふうに、自分では感じちゃうんですよね。


一瞬の幻想なんだけど」



この文章を読んだとき、「組織の中か外か」にこだわっていた自分の考えの無意味さに気づかされました。


結局、自分がやっている行いが、自分のためであっても、周りのためであっても、自分自身がそれを「かけがえのないもの」だと感じなければ、それは「かけがえのあるもの」にすぎません。


人は「自分にとってかけがえのないものは何か?」を自分で考えて決めなければ、「かけがえのない存在」になれません。



会社勤めをしていても、会社を辞めても「これは自分の強みだ」と思えるものができたとき、あなたは本当の意味で「かけがえのない存在」になれるのです。 


ハッスルチャージカンパニー

いい人卒業専門カウンセラー
スーパー店長育成プロデューサー
名前セラピー

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