これまでの人生⑤ | むらさきさんの闘病日記

むらさきさんの闘病日記

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さて、大学時代です。

これまでの記事で触れたように、躁鬱の父によるDVがトラウマになっており、私は早く家を出たいと思っていました。

そこで地元の大学ではなく、少し離れた地域の大学に進学することにしました。

 

初めての一人暮らし。これが失敗でした…

高校までは、起床も炊事も家事も全て母がやってくれてましたが、それらを自力でやらねばならなくなりました。

発達障害の私に、いきなり、そんなことができるわけもありません…

 

見事に生活は乱れ、まず、入学式で遅刻をしました。

大学生、かつ入学式にふさわしい服装や化粧といったものがよく分からず、かなり変なファッションだったと思います。

そんな人間が式の最中に、会場に入ってくるわけですから、目立つし、何より浮きました。

皆、なんか黒いスーツとか着てるのです…

私はそこまでオフィシャルな服装ではなかったので、とても浮きました。

 

また、大学の勉強も思ったのと違って、なんだか面白くなくて行きたくなくなり、大学には行かずにアルバイトをしたりしていました。

同じ学科の友達もできてそれなりに仲良くしていましたが、よく大学をサボるのと、時折出る「人付き合いが面倒くさい」モードの時は単独で行動したりして、次第に、友達とも疎遠になってしまいました。

ただ、サークルに入ってそこで友達ができたりもしていて、高校時代よりは、「いろんな友達がいる」環境だったかな、と思います。

 

大学2年の時に、3年に上がるために必要な単位を取れず、留年することになりました。

やはり、発達障害で、生活が乱れたりして大学に行けなかったのが大きいと思います。

その頃、理系に憧れを持っていて、大学を辞めて勉強して理系の大学に入り直したい、と思うようになりました。

何より我が家は貧乏なので、留年になると奨学金はもらえません。

奨学金なしで、親の仕送りと自分のアルバイトだけでは、今の大学に通うのは無理だろう、と思っていました。

そこで親に相談したところ、お金は何とでもなるから辞めるな、卒業しろ、と説得されました。

他の大学に行きたいなら、今の大学を卒業してから考えろ、とも。

もう行く気をなくしている大学にさらに3年も通うなんて無理だと思いましたが、「授業料や仕送りなどのお金の心配はするな」と言われてしまうと、親の説得に反抗する理由はなく、応じることにしました。

同級生は3年生になり、私は2回目の2年生をやることになりました。

2年生の授業は、後輩と一緒に受けました。

留年しているのは私一人で、どこにいても浮いてしまって、とても辛かったです。

辛すぎて、大学の後半については、今はもう記憶がありません。

大学に通って、単位を取って、とにかく卒業する、それで精一杯だったんだと思います。

 

大学では教師の免許を取るために、専用の授業も受けていました。

大学3年生の時には母校の高校で教育実習も経験しました。

しかし大学4年の時、免許に必要な単位を一つだけ落としてしまい、結局、教師の免許を取ることができませんでした。

その授業はとても簡単なもので、講師も非常にゆるくて、毎回出なくても良い、テストの日だけ出てきてとりあえずテストを受けろ(そして大体合格させる)という感じでした。

そのテストの日当日に、何故か、大学に行けなかったのです…

行って、名前と何かを書けばそれで単位が出て免許がもらえるんだと、分かっていたのに、どうしても、行けませんでした…

 

学業以外では、恋愛面で初の彼氏ができました。

しかし、ワガママなところを早々に出してしまって…呆れられて、すぐに振られました。

発達障害は恋愛においても粘着質だったり依存したりする傾向がありますが、まさにそれで、別れても忘れられずに依存してしまったりしていました。

 

アルバイトも、初期はすぐ辞めてしまっていました。

ある時、定食屋のホールスタッフのバイトをしていて、時給は安かったのですが、楽しいから時給安くても頑張ります、的なことを店長に話したのです。

その後入ってきた後輩が、ややどんくさい子だったのですが、すぐに昇給して私と同じになりました。

私が昇給するのにかかった期間よりもその子の後輩の方が期間が短かったのです。

さらにその子はまだミスがありました。

ミスしてお客様に迷惑がかからないように、私がこっそりカバーして、大きなミスになっていなかったのです。

店長はそれを知らずに彼女の昇給を決めました。

それに対して不満を言ったところ、「給料安くてもいいんじゃなかったのか?」と言われたのです。

給料の多寡ではなく、昇給のタイミングについての不満だったのですが、勘違いされてしまったわけです…

それで店長とうまくいかなくなり、いつの間にか辞めてしまいました。

給料は現金手渡しだったので、最後の方に働いた給料はもらえずじまいだった気がします。

このあたりのトラブルも、発達障害の何かが原因なのかもしれません。

 

学業もアルバイトも、なかなかうまくいかない…

今思えば発達障害の影響だったんだろうなと思います。

こうしてなんとか大学生活5年間を終えました…