今日のスポーツ新聞に、横綱白鵬関が「後の先を捨てた!?」とありましたが、私は捨ててはいないと思います。
その理由は、後の先を捨てたら、勝てないからです。
横綱が封印したのは「立ち会いとしての後の先」です。
記事の見出しで、一番近いマッチしたのはスポーツ報知さんだと思います。
(下にリンクがあります。ご参考にして下さい)
後の先とは、先に立ったとか、受けたとかの“動き方”だけではなく、哲学や考え方、戦い方も含みます。
後の先は、技ではなく、哲学・戦略であると言う方も多くいます。
(このブログにも書いてありますが、先に攻めても「後の先」となる時があります)
では後の先の“哲学”とは、?
その中心と成すものが「対応」です。
つまり、「相手の攻めにどのように応えていくか」になります。
反応ではありません。
反応は“一か八かの勝負”となりやすく、勝ちとして安定を望むことは出来ません。
そして、応える(対応)ためには、
・待つこと(これが最も重要)
・研究、
・稽古、
・コミュニケーション(先輩力士、後援会などの人々。コミュニケーションは「助言」を受けるためです。)
などが必要となります。
「待つ」とは?
これは心が充実していることを指します。
最多勝利を狙っている横綱にとって心は充実していると思います。
「待つ」に関して補足いたします。
剣道には「懸待一致(けんたいいっち)」という教えがあります。
柳生宗矩氏が“兵法家伝書”に言葉を残しているくらい歴史のある教えです。
千葉周作氏も「攻める中に待つ、待つ中に攻める」と説いています。
この気分が「“後の先”の心のあり方の境地」らしいです。
そして、待つためには心が落ち着いていなくてはなりません。
十分な準備が必要となります。
横綱にとって準備とは先の「研究・稽古・コミュニケーション」となります。
したがって、動きとしての後の先を封印しても、自然に哲学としての後の先、戦略としての後の先を続けることになります。
以上を要約を箇条書きすると、
・横綱は動きとしての後の先は封印した。
・しかし哲学・戦略・戦術としての後の先は封印していない。
・その理由は1,047勝の最多勝利を目指からである。
・安定して勝つためには「対応」が必要となる。
・対応は後の先の核である。
・いままで目指してきた後の先の核(対応)を簡単には捨てることができない。
・研究・稽古・コミュニケーションは横綱の生活基盤であるから。
参考:各紙の記事
日刊さんの記事 → こちら
報知さんの記事 → こちら
スポニチさんの記事 → こちら
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