双葉山さんが俵を踏んでいる理由? | 内藤堅志オフィシャルブログ「労働科学研究者 内藤けんしの"ちょっといい話かも!"」Powered by Ameba

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労働科学研究所 協力研究員。
第1種衛生管理者。
労働衛生・安全、技能伝承、ストレスを研究しています。成功、活躍した人を分析して「運」も研究しています!

その昔、武士は相手と対峙して座り相手に挨拶をする時、扇子を膝の前に置いて挨拶をしたそうです。

また、上司に呼ばれ屋敷に行ったとき、応接間に案内されるのですが、応接間の手前にある部屋に坐ります。そして、応接間と手前の部屋の境である、敷居の上に扇子を置いて挨拶をしたそうです。



その際、扇子は境界(結界)となり、‥‥
・相手と自分を区別する(地位や所属の識別)
・すぐに相手が攻め入らないように(攻撃の防御)
・気の乱れを防止する、相手の気を防ぐ(精神衛生:安心。不動の心を保つ)
などの役割をしたといわれています。



そこで、土俵をイメージしてみましょう!

土俵では「勝負俵」が結界(境界、ここでは結界と表現します)となります。
(周りの角俵も。ここでは勝負俵を中心に考えます)

勝負俵は‥‥、
哲学的(相撲道、武士道)に大切な役割をしていると言えます。
また、勝負の判定に関しても大切な機能を有しています。

「勝負俵を踏んではいけない」理由は、これらのことから来ていると考えられます。



それでは、なぜ双葉山さんは勝負俵を踏んだのか?

この写真を見ると、双葉山さんの視線は足元を見ています。
仕草や表情から“落ち着ている様”と見えます。
偶然俵を踏んだとは考えにくいと思います。


*この写真は69連勝の時の写真なので、相当な心、覚悟だったと思います。


そこで「何故、あえて踏んだのか?」を推測してみました。

推測を述べる前に、どのようにして推測したのか(方法)を説明します。

現在、私は「双葉山さんに後の先を教えたのは誰か?」という研究をしています。
面白い結果を得ることが出来ました。

研究は今夏に本として出版されますので、詳細は割愛しますが、
・多くの文献
・後の先を継承している方の意見、
・剣道を専門に扱う出版社編集長さんの意見
などから導き出しました。



推測結果ですが‥‥

当時双葉山さんの周りには、著名な剣豪、文筆家、陽明学者・思想家の安岡正篤氏(木鶏を教えた人)がいました。

相撲における哲学の形成、型の形成、稽古の仕方など、それらの方々の影響を受けていました。


そして「勝負俵を踏む意図」ですが、先ほどの“武士の座り方”にヒントが隠されていると思います。全て逆に考えてみます。


勝負俵を踏むことで、結界を壊すと仮定します。

すると‥‥

・相手と自分を区別する(地位や所属の識別) →→→ 横綱、大関、関脇など番付(地位)は関係ない。

・すぐに相手が攻め入らないように(攻撃の防御) →→→ 正々堂々と闘う。いつでも受ける。

・気の乱れを防止する、相手の気を防ぐ(精神衛生:安心。不動の心を保つ) →→→ 自分自身の心への挑戦(木鶏の追求)

飛躍しすぎかもしれませんが、このように考える事が出来ます。


「番付は関係ない。相手を敬い、正々堂々と勝負する。」


この思いなのかも知れません。

「後の先とは何か?」を研究してくるとこの気持ちが何となくわかってきます。
相手を受け入れないと出来ない技が“後の先”と言えます。



1つ前のブログにアップしましたが、70連勝を掛けた勝負で、安藝ノ海関も勝負俵を踏んでいます。


安藝ノ海さんも、それに答えて、あえて踏んだ‥‥のでしょうか?
(考えられます!)


また、下の写真のように「勝ち名乗り」の時に踏んでいる意図は「負けた力士に対する敬意」かもしれません。

全ての映像を解析仕分けではないので、いつでも踏んでいるとは限りません。
大切な一番、だけ踏んでいるのかも知れません。
(今後精査する必要があります)



俵を踏む理由、もしかしたら‥‥
・単に足の歩幅が合わなかったり、
・足の裏がムズムズした
だけかも知れませんね


少々、物語チックですが、でも、夢があるような気がします。
いにしえの力士の粋な夢です。


以上が、私が推測した「双葉山さんが俵を踏んでいる理由」です。




(さらに興味のある方は、下も読んで下さい!)

そこでもう一つ‥‥、
上記のように考えると、

「なぜ、当時の力士は武士的な考え方を持っていたのか?」

この疑問が生じます。
(これも、後の先を理解する上で参考になることです)

私は、戦後GHQが武道を禁止した理由と関係あると考えています。

一般的には、GHQが武道を禁止した理由として、
・天皇への忠誠心が生じて再び戦争になる
・日本人の精神文化が危険視された
・日本人の精神力の強さを奪う目的
などいろいろな考えがあります。



でも、もう一つ異なる理由があると思います。
それは、この本的に考えると、


日本古来の武道には、
近代戦略思考の主流たるエッセンスが含まれている
その為にGHQは武道を禁止をした。

と考えると
辻褄が合ってきます。
(本書によると、日本は第2次大戦中すでに「武道の哲学」を忘れていたそうです)

そして、その後武道は復活しますが、残った武道は「スポーツに近い武道」となってしまいました。


したがって、戦後を中心に成長した人に「本当の武道」を理解しろという方が無理なのかも知れません。

私の推測に合理性があるとするならば、「本来、踏んではいけない勝負俵(結界)を“踏む行為”の意味」が分からないのも納得できます。


ただ、単に踏むのとは違うのだと思います。
単に踏むならば、しない方が良いです。


踏む行為の背景には相手に対する敬意が表れているのだと思います。
(白鵬関にも話して、意見を聞かなければ!)

さすが、双葉山さん、安藝ノ海さんということになるのでは。

当時の力士は「サムライ」ですね。

*あくまでも、私の推測です。まだまだ、調査研究中なのでこの推測結果が変わります。随時ブログで訂正したいと思います。