また、上司に呼ばれ屋敷に行ったとき、応接間に案内されるのですが、応接間の手前にある部屋に坐ります。そして、応接間と手前の部屋の境である、敷居の上に扇子を置いて挨拶をしたそうです。
などの役割をしたといわれています。
(周りの角俵も。ここでは勝負俵を中心に考えます)
哲学的(相撲道、武士道)に大切な役割をしていると言えます。
それでは、なぜ双葉山さんは勝負俵を踏んだのか?
仕草や表情から“落ち着ている様”と見えます。
*この写真は69連勝の時の写真なので、相当な心、覚悟だったと思います。
そこで「何故、あえて踏んだのか?」を推測してみました。
推測を述べる前に、どのようにして推測したのか(方法)を説明します。
現在、私は「双葉山さんに後の先を教えたのは誰か?」という研究をしています。
面白い結果を得ることが出来ました。
研究は今夏に本として出版されますので、詳細は割愛しますが、
・多くの文献
・後の先を継承している方の意見、
・剣道を専門に扱う出版社編集長さんの意見
などから導き出しました。
推測結果ですが‥‥
当時双葉山さんの周りには、著名な剣豪、文筆家、陽明学者・思想家の安岡正篤氏(木鶏を教えた人)がいました。
相撲における哲学の形成、型の形成、稽古の仕方など、それらの方々の影響を受けていました。
そして「勝負俵を踏む意図」ですが、先ほどの“武士の座り方”にヒントが隠されていると思います。全て逆に考えてみます。
勝負俵を踏むことで、結界を壊すと仮定します。
すると‥‥
・相手と自分を区別する(地位や所属の識別) →→→ 横綱、大関、関脇など番付(地位)は関係ない。
・すぐに相手が攻め入らないように(攻撃の防御) →→→ 正々堂々と闘う。いつでも受ける。
・気の乱れを防止する、相手の気を防ぐ(精神衛生:安心。不動の心を保つ) →→→ 自分自身の心への挑戦(木鶏の追求)
飛躍しすぎかもしれませんが、このように考える事が出来ます。
「番付は関係ない。相手を敬い、正々堂々と勝負する。」
この思いなのかも知れません。
「後の先とは何か?」を研究してくるとこの気持ちが何となくわかってきます。
相手を受け入れないと出来ない技が“後の先”と言えます。
1つ前のブログにアップしましたが、70連勝を掛けた勝負で、安藝ノ海関も勝負俵を踏んでいます。
安藝ノ海さんも、それに答えて、あえて踏んだ‥‥のでしょうか?
(考えられます!)
また、下の写真のように「勝ち名乗り」の時に踏んでいる意図は「負けた力士に対する敬意」かもしれません。
(今後精査する必要があります)
俵を踏む理由、もしかしたら‥‥
以上が、私が推測した「双葉山さんが俵を踏んでいる理由」です。
(さらに興味のある方は、下も読んで下さい!)
そこでもう一つ‥‥、
上記のように考えると、
「なぜ、当時の力士は武士的な考え方を持っていたのか?」
この疑問が生じます。
(これも、後の先を理解する上で参考になることです)
私は、戦後GHQが武道を禁止した理由と関係あると考えています。
単に踏むならば、しない方が良いです。
当時の力士は「サムライ」ですね。
*あくまでも、私の推測です。まだまだ、調査研究中なのでこの推測結果が変わります。随時ブログで訂正したいと思います。