先日、相撲求道録(時津風定次著.昭和31年8月30日発行)にある白玉親方の話しをしました。
その中に、興味深い話しがあります。
それは、「運足」です。
双葉山さんは‥‥、
『あの人は、よほどの工夫を積んだ力士のようです。たとえば、家の中を歩くときでも、その歩きかたを問題にしないではおれなかった人です。つまり家にくつろいでいるときでも、土俵に直結した「足の訓練」を忘れなかったのです。「バタバタ足では駄目だ。すり足でなくては駄目だ」というわけなのです。だから座敷に坐っていながら、廊下を通る力士の足音をきいただけで、「ああいう歩き方をする奴は、とても相撲には勝てん」などとささやいたものです。』
と話しています。
また、自らのことについて‥‥、
『 彦山という相撲評論家があるのですが、わたくしがもう横綱になってからのことです、ある日わたくしが歩いて場所入りをするときに、近くの曲がり角から国技館の門前まで、その歩き方を眺めていたそうです。そのあとで彦山氏はわたくしにむかって、つぎのようなことをいったのです。
「関取の歩きかたは、ひとつの型をなしている。自分自身でも、そのことを意識しているのか」もちろん、わたくしとしては意識をしていたわけでもないのです。だが力士というものは、歩きながらも、土俵上の「運足」に結びついた人しれぬ工夫が大切です。あのときもふと、むかしの玉椿を想いおこしたことです。』
と話しています。
双葉山さんは「足の運び型を意識していなかった」と言っていますが、常に相撲の事を考えているために、日常の生活の中でも、自然に相撲の動きとなったと言えます。
日常生活も相撲に結びつける。
これは相撲のみならず全てのことに通じることだと思います。
では、横綱白鵬関と何が結びつくのか???
実は、横綱白鵬関は土俵の上では歩きません。
特に、稽古場の土俵上の移動は常に、つま先を地面につけて移動します(すり足)。
本場所の土俵でも全く同じです。
花道は歩きますが(踵から)、土俵上では勝負が決まるまですり足です。
この行為は、白鵬関が大関時代から行っていました。
ある時、この映像を横綱に見せたところ、「知らなかった!」と言いました。
双葉山さんと、全く同じです。
相撲の事を真摯に考えることでこの動きになったと思います。
次回は二人に共通する所作(ルーティン)についてお話しします!