今日は8巻にあるある言葉の紹介です。
P172に城太郎がある人達と闘う場面あります‥‥
『城太郎は人を投げる技を知っていたが、まだ、人を投げる法を弁えていない。投げられる相手も、生き物であるからには、ただ投げられたままではいない。途端に刀も抜こうし、無手でも脚へしがみついて来る可能性はある。
敵を投げるには、投げる前にまずその考慮がなければならないのに、蛙でも叩きつけるように、脚下へ投げつけ、しかも身を退く(ひく)ことをしなかったので、(してやった)と思った瞬間に、太股のあたりを薙ぎ払われて‥‥…』
とあります。
わかりやすくいうと、知識と実践だと思います。
知識とは「打ち込み」などで得た形で、実践とは「対人練習や試合で得た経験」と言い換えることが出来ると思います。
先日9月10日のブログ「さほど強くない」で双葉山さんの言葉を紹介しました。
![資料3](https://stat.ameba.jp/user_images/20140902/17/69rss/34/aa/j/t02200293_0800106713054382656.jpg?caw=800)
『わたくしは、技量においても、体力においても、べつだん衆にすぐれた素質があったわけではありません。ことに腕力にかけては、むしろ弱いほうだといってもよいでしょう。非力と‥‥いわゆる「腕の力」と「相撲力」とは違ったものです。』
これは「法を弁える」と同じ意味に取れるのでは?
いくら力が強くとも、法を弁えていなかったら力が活かされない。
つまり、これは「型」といえます。
動作、行為の意味づけです。
本当に、深い!
ところで、なぜ、双葉山さんと吉川英治さんを調べているのか??
そこには、ある、接点があるんです。
この接点が非常に面白い。
いま、その仮説を証明するための調査をしています。
ほとんど終わりました。
今月中に報告できると思います。
単 著
白鵬のメンタル 人生が10倍大きくなる「流れ」の構造 (講談社+α新書)/講談社
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