吉川英治さんと双葉山関 その3 技と法 | 内藤堅志オフィシャルブログ「労働科学研究者 内藤けんしの"ちょっといい話かも!"」Powered by Ameba

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労働科学研究所 協力研究員。
第1種衛生管理者。
労働衛生・安全、技能伝承、ストレスを研究しています。成功、活躍した人を分析して「運」も研究しています!

宮本武蔵を読んでいると、「本当に小説家?」と疑ってしまいます。



宮本武蔵8巻


今日は8巻にあるある言葉の紹介です。

P172に城太郎がある人達と闘う場面あります‥‥

『城太郎は人を投げる技を知っていたが、まだ、人を投げる法を弁えていない。投げられる相手も、生き物であるからには、ただ投げられたままではいない。途端に刀も抜こうし、無手でも脚へしがみついて来る可能性はある。
 敵を投げるには、投げる前にまずその考慮がなければならないのに、蛙でも叩きつけるように、脚下へ投げつけ、しかも身を退く(ひく)ことをしなかったので、(してやった)と思った瞬間に、太股のあたりを薙ぎ払われて‥‥…』

とあります。

わかりやすくいうと、知識と実践だと思います。

知識とは「打ち込み」などで得た形で、実践とは「対人練習や試合で得た経験」と言い換えることが出来ると思います。


先日9月10日のブログ「さほど強くない」で双葉山さんの言葉を紹介しました。

資料3


『わたくしは、技量においても、体力においても、べつだん衆にすぐれた素質があったわけではありません。ことに腕力にかけては、むしろ弱いほうだといってもよいでしょう。非力と‥‥いわゆる「腕の力」と「相撲力」とは違ったものです。』


これは「法を弁える」と同じ意味に取れるのでは?

いくら力が強くとも、法を弁えていなかったら力が活かされない。


つまり、これは「型」といえます。

動作、行為の意味づけです。


本当に、深い!


ところで、なぜ、双葉山さんと吉川英治さんを調べているのか??

そこには、ある、接点があるんです。

この接点が非常に面白い。

いま、その仮説を証明するための調査をしています。

ほとんど終わりました。


今月中に報告できると思います。




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