ジョン君の「希望は罪だ」で、中学生の頃に僕が「パンドラの壺」の話に抱いた不満を思い出した。




パンドラが開けた禁断の壺。

諸々の悪が飛び出した。

慌てて蓋を閉じたら壺に残ってしまった「希望」。

「希望」は箱の中から出してくれと頼んだという。

「希望」が出てきたことを世界は歓んだ。


本当にそうだろうか。


良いものが「開けてはならない壺」に諸悪と共に封じられるだろうか。


「希望」こそが最大の悪だったのではなかろうか。


「希望」は生命に何もしてやれないのだから。

生命が「希望」に思いを馳せても「別れ」はやってくるのだから。

「希望」によって諸悪が消えたことなんて、なかったのだから。

「希望」は「希望」でしかないのだから。



悪魔は何時だって甘い言葉でヒトを惑わせる。


「希望」は違った。


パンドラはそう言い切れただろうか。




一時、神話や寓話に興味を持ったことがあって、「パンドラの壺」もその時読んだ。

まあ、壺の中に残ったものについては諸説あるようだけど。

思春期に考えることなんて、言葉に酔ってるだけだったりするし。


でもこれ、未だに納得できない。

僕の世界は、予定調和的なハッピーエンドで納得できるほど穏やかじゃあない。



……とか言いつつも、毎日それなりに平穏に生きている。