失望したくない | 13番街のfake rocker

13番街のfake rocker

小説書いています。たまに写真撮ってもらっています。
物書きなのにロックスターになりたいとかわけのわからんことを言います。稀に詩を載せます。



自分に失望したくないなぁと思う日々です。
前日にたくさん足したので、そこから削る作業。
ジャストな枚数にできました。


何というか、慣れっこだなぁと、思ってしまった。
楽しみな予定は消えがち。
不思議とね。
ああ、活動の方のね。
もう……どれくらいだろう。少なくとも4~5年は、そういうの続いている。
何だか素適な話をもらって、実現しなかったことの方が多いんじゃないかな、たぶん。
出るはずだった写真集のこととか。
大手の委託先の話が流れるとか。
小説冊子とか。
ゲームの原案とか。
お店のモデルとか。
モチーフになる掌編書いてってやつとか。
動画の原案とか。
僕がどっかに所属して、そこから離れるとかそういう話じゃなくてさ。こっちからの提出物は出したのに、そのまま流れて空中分解ってやつ。あと声だけかけて、ぼんやりとした日取りだけ決めて、忘れられるとか。

もう時効だろうから言っちゃうけれど、とあるカメラマンに動画撮るからって言われて中編(原稿用紙80枚強)の小説書いて、それを動画の脚本まで落とし込んで欲しいって言われて脚本にまでして、ほぼ何もせず終わりとかあるからね。
慣れっこです。
周りに恵まれていないかと訊かれればそうでもないしね、成功例もあるし。でもそれに関してもあんまし最初から期待していない。もちろん自分は成功するために、完遂するために、全力を尽くすのだけれど。でも何かしら、外的な要因でそれがおじゃんになる可能性は高いと思って進める。思った上で、完成させることではなく、全力で挑むことに意義を見いだしてやっている。失敗したって全力を尽くせば良い経験だし、成功したって手を抜いていたら何の価値も無い。

楽しみにしていたのは事実だから、こうやって書いてしまうけれど。
でもそれを、何としてでも僕と続け完遂させたいと思われないのは、僕に魅力がないことや、僕とそれ以上続けてもメリットが少ないということだろうから。

結局は僕個人の責任。
結果が出せないから。
プロセスを認めるのは、自分ではいけない。