夏休みに入り、りーちゃんはデイサービスでドリルを頑張ったり、お祭りやお泊まり等色々な体験をしています。
本当にありがたいです。
発声は難しいものの、平仮名を覚え数字を覚え、自分の名前を判別出来るようになりました。
図形もなんとなくわかります。
手を添えると迷路や平仮名なぞりができます。
でも、問いかけが複雑だったりすると途端にできなくなります。当てっこクイズが限界です。
書くことも、手を添えて助けてあげると良い方向に動かしますが、手を離すとワシャワシャーっと殴り書きになります。
生活面でも学習面でも、ゆっくりながら色々吸収をしてくれるわりに、段差の判別やマッチング、右端の物を見落とす、無意識に周りのものに手いたずらしてしまう等の事はいくら言っても治らず、むしろ意味がわからないという顔をされます。
りーちゃんがいまどんな世界にいるのか。
それは私の一番知りたいところです。
以前高次脳機能障害の相談会に行ったとき、「お母さん、りーちゃんは発達障害と考えてください。その方が色々な支援を受けられます」と言われ、よくわからず「そうなんですか。」なんて返事をしていました。そう思い、発達障害について色々自分なりに勉強してみて良かったこともありました。
でもなんか、しっくりこない。
りーちゃんに当てはまらないことが多い。
なんだろう、なんなんだろう。
どうして、何年も同じ事を教えて出来ることと出来ないことがこんなにもはっきりしてるんだろう?
ずっともやもやして、高次脳機能障害の事なんてすっかり忘れてました。
そんなときに一冊の本に出会いました。
あ、宣伝ではありません。
壊れた脳、生存する知という本の漫画版です。
これに登場する主人公のお医者さんが、原因の病気は違うけれど、まさにりーちゃんとおんなじ状態なんです。
で、漫画なので、こういう風に見えてるとか、こんな風にとらえてるとか、やろうとしてもこうなってしまうとか、本人目線の絵や台詞で説明?されていて、非常にわかりやすいのです。
あー、だから難しいんだと思う事がやっとできたのと同時に、行動が思うようにいかないだけで、実はわかっていることや思っていることが一杯あるかもなんて、うっすら期待してみたり。
何よりもやっぱり高次脳機能障害の影響の大きさを感じ、それに寄り添った生き方を考えるいい機会となりました。
とかエラソーに言ってみる。
七夕祭りにて、道路に落書き大喜びでした。

本当にありがたいです。
発声は難しいものの、平仮名を覚え数字を覚え、自分の名前を判別出来るようになりました。
図形もなんとなくわかります。
手を添えると迷路や平仮名なぞりができます。
でも、問いかけが複雑だったりすると途端にできなくなります。当てっこクイズが限界です。
書くことも、手を添えて助けてあげると良い方向に動かしますが、手を離すとワシャワシャーっと殴り書きになります。
生活面でも学習面でも、ゆっくりながら色々吸収をしてくれるわりに、段差の判別やマッチング、右端の物を見落とす、無意識に周りのものに手いたずらしてしまう等の事はいくら言っても治らず、むしろ意味がわからないという顔をされます。
りーちゃんがいまどんな世界にいるのか。
それは私の一番知りたいところです。
以前高次脳機能障害の相談会に行ったとき、「お母さん、りーちゃんは発達障害と考えてください。その方が色々な支援を受けられます」と言われ、よくわからず「そうなんですか。」なんて返事をしていました。そう思い、発達障害について色々自分なりに勉強してみて良かったこともありました。
でもなんか、しっくりこない。
りーちゃんに当てはまらないことが多い。
なんだろう、なんなんだろう。
どうして、何年も同じ事を教えて出来ることと出来ないことがこんなにもはっきりしてるんだろう?
ずっともやもやして、高次脳機能障害の事なんてすっかり忘れてました。
そんなときに一冊の本に出会いました。
あ、宣伝ではありません。
壊れた脳、生存する知という本の漫画版です。
これに登場する主人公のお医者さんが、原因の病気は違うけれど、まさにりーちゃんとおんなじ状態なんです。
で、漫画なので、こういう風に見えてるとか、こんな風にとらえてるとか、やろうとしてもこうなってしまうとか、本人目線の絵や台詞で説明?されていて、非常にわかりやすいのです。
あー、だから難しいんだと思う事がやっとできたのと同時に、行動が思うようにいかないだけで、実はわかっていることや思っていることが一杯あるかもなんて、うっすら期待してみたり。
何よりもやっぱり高次脳機能障害の影響の大きさを感じ、それに寄り添った生き方を考えるいい機会となりました。
とかエラソーに言ってみる。
七夕祭りにて、道路に落書き大喜びでした。



