ひたすらのブログ -4ページ目

ひたすらのブログ

ためしに始めて見たのです♪

ああ、天地は目の前にどこまでも広がっているなあ…
はるかむかしから現在まで、思えば信じられないほどの時間の流れだよなあ…
150cmしかないこの小柄な身体で、このスケールの大きさを感じてみるとしようか。
ホレーショの哲学な

んか、結局何のオーソリティーもありゃしないじゃないか。
この世のありとあらゆる物の真理はたったひとことで言い尽くせるよ。
つまり「不可解」
ぼくはこのひとことを胸にいだいて日々悩み苦しみ、ついに今日、死ぬことに決めた。
すでに滝壺を見下ろせる場所に今こうして立っているんだけど、胸のなかにはこれっぽっちの不安もないよ。
ぼくは今、生まれて初めて知ったよ。
大きな大きな悲観は、大きな大きな楽観に結びつくんだってことが、ね。

 

 

林修のニッポンのドリル という番組で 世界遺産になった日光のことを詳しくやっていました。

なっなんと 華厳の滝に飛び込んだ青年は

 

遺書を木の皮をはいで残したそうです

 

それが 「厳頭之感」 。

 

明治初期の日本、世の中が急激なスピードで変化、藤村操さんは生き方に苦悩したのではないかと林先生。

 

しかーし、それもあるかもしれないけど・・・・

 

なんと 夏目漱石が先生、彼が生徒だつたとな!!!

 

ひどく叱られたことが原因??

 

いやいや そんなことで死を選んだりはしないっしょ という意見もありました。

 

しかし、夏目漱石は晩年 鬱に悩まされますね。

 

鎌倉で静養していたこともあります。

 

あっ 伊勢さんのブログにそういえば 夏目漱石についての記事があり 昔読んだことがあるなぁ・

 

まさか 林先生の番組から夏目漱石にたどりつくとはおもわなんだ

 

 

 

寝屋川市の文化財

大将軍 高柳

大将軍

「大将軍」というのは大安や仏滅などとともに暦(こよみ)の吉凶をつかさどる八将軍、太歳神(たいさいしん)、大将軍、太陰神(たいおんしん)、歳刊神(さいきょうしん)、歳破神(さいはしん)、歳刹神(さいせつしん)、黄幡神(おうはんしん)、豹尾神(ひょうびしん)という方位の神のひとつですが、そのなかでも代表的な立場で古来より最も恐れられていました。

高柳・黒原・太秦(うずまさ)・高宮の地区には「大将軍」という小字があります。石津には「大上戸」、三井には「大上権」、太秦には「大上こん」がありますが、これらは大将軍のなまったものと考えられます。大将軍をまつった場所や地域をさしているのでしょう。

高柳村の鬼門(きもん、北東)といわれた方角に、昔は木々がうっそうと茂り、たぬきがすむと恐れられていた場所がありました。高柳村ではそのころ異変が続いていました。村中で話し合われ「鬼門を粗末にしているからだ。大将軍をまつろう」ということになりました。これが高柳村の「大将軍」のおこりで、以来、村人の厚い信仰を集めてきました。

 

高宮神社

寝屋川市の歴史

寝屋川市の文化財

高宮神社 

高宮神社

高宮には、高宮神社と大杜御祖神社(おおもりみおやじんじゃ)の2つの神社があり、両社とも延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、かつ親子関係の神社です。1つの村の中でのこのような類例はめずらしいことです。

祭神は『先代旧事本紀』(平安時代)に高宮神主たちの祖先と記載されている天剛風命(あめのこかぜのみこと)で、大杜御祖神社の祭神、天萬魂命(あめのよろずたまのみこと)の子神にあたります。
 江戸時代には、旧讃良郡内の一番の大宮として「一の宮」ともよばれていました。

延喜式内社とは、延喜5年(905) に藤原時平らによって編纂が開始された「延喜式」(律令の施行細目を集大成した古代の法典) の巻九・十(いわゆる「延喜式神名帳」) に記載されている神社のことで、その数は神社2861社、祭神3132座にのぼります。式内社ともよばれています。