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蕪島(かぶしま)。 蕪嶋神社は社伝によれば永仁4年(1269年)に江ノ島弁才天を勧進したのがはじまりだという。祭神は市寸嶋比売命、多紀理毘売命、多岐都比売命の宗像三女神で「蕪嶋の弁天様」として信仰を集めてきた。弁財天は商売繁盛や子授けにご利益があるとされているが、漁業の守り神でもある。2015年11月5日未明全焼した。地元小学生が卒業記念に描いた天井画なども焼失した。 境内には柳原白蓮の短歌が刻まれたウミネコ供養碑がある。 蕪嶋神社付近では、毎年4月の第3日曜日に蕪島まつりがある。
蕪島は、青森県八戸市鮫町にある島である。ウミネコ繁殖地として、国の天然記念物に指定されている。また、2013年5月に三陸復興国立公園に指定されている。 「島」と呼ばれているが、内務省と海軍省の委託工事として1942年に旧海軍により2年がかりの埋め立て工事が行われ、本土と陸続きとなった。ウィキペディア
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景行天皇40年、皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国御平定の折、当地にて平定成就と旱天に苦しんでいた住民のために天照皇大御神を祀り祈願された処、御神徳の顕現がありました。これが当宮の創始であります。
平安時代、延長5年(927)に編纂が完成した『延喜式』にも当宮が記載されており、式内社としての歴史を知ることができます。
後冷泉天皇の御世、天喜年間(1053〜58)には、源頼義・義家親子が当宮を修造し、近衛天皇の御世、仁平年間(1151〜54)には、船橋六郷の地に御寄付の院宣を賜り、源義朝が之を奉じて当宮を再建し、その文書には「船橋伊勢大神宮」とあります。
鎌倉時代、日蓮聖人(1222〜82)は宗旨の興隆発展成就の断食祈願を当宮にて修め、曼荼羅本尊と剣を奉納されました。
江戸開府の頃、徳川家康公(1546〜1616)は当宮に社領を寄進、奉行をして本殿・末社等を造営し、以来江戸時代を通して五十石の土地が幕府から寄進され幕末に至りました。
近代に入り、明治天皇陛下(1852〜1912)には習志野・三里塚へ行幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉奠遊ばされました。
往時の諸社殿の景観は、江戸時代末期の「江戸名所図会」に窺えますが明治維新の戦火のため焼失しました。
その後、明治6年(1873)に本殿が造営されたのを初めとして、大正12年(1923)、昭和38年(1963)、同50年(1975)、60年(1985)に本殿・拝殿・末社・鳥居・玉垣・参道に至るまで随時造営がなされ、県文化財指定の灯明台の修復なども経て、今日に至っております。