樹木希林さん最後の主演映画「あん」が全国で追悼上映されている。


今回見て、上映時になぜ見なかったのかとじぶんに恥じた。


これほど余韻が残り、深い感動を覚えたのはなぜだろう。


暗くなりそうな題材を、そうならずに最後までしっかりと見せてくれる。


むしろ希望まで与えてくれる。

 

 

 

 

原作者のドリアン助川さんは、希林さんをモデルにして小説を書き、


映画化を目指して主演の依頼をして、河瀨監督にも依頼をしている。


原作者が企画し、監督(監督が脚本を書いている)・主演と原作者の思いが繋がっていった。

 

 

 

 


簡単なあらすじを言うと、どらやき屋の店長の千太郎(永瀬正敏)の求人募集の張り紙をみて、


働きたいと懇願する老女、徳江(樹木希林)が現われ、どら焼きの粒あん作りを任せる。


徳江の作った粒あんはとても美味しく、あっという間に店は繁盛する。


しかしあの噂が、ふたりの運命を大きく変えてしまう。

 

 

 

満開の桜の見事な美しさは監督の意思表示かもしれない。

 

小豆の音。香りまで漂ってきそうなカメラのアップは、小豆が生きていることを示すために。


人間の表情のアップも細やかな動きまで感じさせる。

 

 

「あんを炊いているときのわたしはいつも、小豆の言葉に、耳をすましていました。


それは、小豆が見てきた雨の日や晴れの日を、想像することです。


どんな風に吹かれて小豆がここまでやってきたのか、旅の話を聞いてあげること。

 

そう、聞くんです。」   徳江さんの言葉。

 

 

 

 

 

「店長さ~ん」という徳江さん声の響きが今でも頭に響く。

 

特別な意味があるから。

 

長年の願いを店長さんは叶えてくれた。

 

 

映画は、現実の問題を叫ぶのではなく、物語として深くこころのなかへ届くように描いている。

 

原作の意図をしっかりと汲み取った、丁寧な脚本と演出が素晴らしい。

 

美しく深く、徳江さんを通してハンセン病のひとたちの痛切な思いを表現している。

 


店長さんの悔しく悲しい涙をみて、わたしのこころも引き裂かれそうになった。

 

 

徳江さんの手紙
「こちらに非はないつもりで生きていても、世間の無理解に押しつぶされてしまうことはあります。

智恵を働かせなければいけない時もあるのです。そうしたことも伝えるべきでした。」

 


施設での徳江さんの『楽しかったわあ』という言葉。

 

あの表情とセリフはこの映画のなかで最も大切なセリフだ。

 

まさに映画史に残るだろうと思った。

 

彼女が生きてきた全ての思いが凝縮した言葉だった。

 


希林さんはこの映画のために、一ヶ月間両手を縛って生活し、徳江さんになりきろうとした。

 

壮絶な役者としての努力がこの傑作を生んだ。もちろんスタッフを含めて。

 

関係者がハンセン病施設へ伺い、様々な話を聴かせていただき、生活の有様、身体の動き等を教えていただいている。

 

 

 

ハンセン病がテーマのひとつだということで、日本では大きなスポンサーがつかず


フランス・ドイツが出資をするという現実のなかで、


希林さんは、この映画をひとりでも多くのひとに見てもらうために、

自腹を切って世界中、かつ全国を走り回った。


体調はどうだったのか。覚悟はしていたのではないか。

 

その結果、数々の映画祭での授賞となり、話題になり、この作品は広まっていった。

 


こころの底で新しい何かが生まれてくるような感動がある。

 

この映画のテーマは『生きるとはどういうことなのか』ということ。

 

 

 

 

 

ここに紹介するのは、予告編。

但し、Youtubeにフルフィルムムービーがあることもお知らせしたい。

 


今、世界的にヘイトクライム(人種、宗教、民族的出目、性的指向、性別、心身の障害などを理由とした憎悪あるいは偏見を動機とする犯罪。憎悪犯罪ともいう)が広がっている。

 


それでも映画は現実を変える力を持っていることを教えてくれている。

 


河瀨監督は「この映画は徳江さんが最後にこの世界に残したメッセージ、それに尽きる。

 

「何かになれなくていい」というと、夢とか希望を持った方がいいんじゃないと思うかもしれない

けれど、そういうことを言っているんじゃない。

 

「何かになれなくても私たちが見る世界はこんなにもすばらしいんだよ」ということ。」

 

「今、あらゆるものを表現できる。でもいくら技術が進歩しても

 

私たちの心が普段何に感動して豊かなものになりえるかが大事。」

 


生きるということについて、徳江さんかたちがヒントをくれるだろう。

 

 

「世の中には、生まれてたった二年ぐらいでその生命を終えてしまう子供もいます。


そうするとみんな哀しみのなかで、その子が生まれた意味はなんだったのだろうと考えます。


今の私にはわかります。

 

それはきっと、その子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるためです。

 

その子が感じた世界は、そこに生まれる。

 

だから、その子にもちゃんと生まれてきた意味があったのです。」

(徳江さんの手紙)

 

 

「ねえ、店長さん。わたしたちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。


だとすれば、何かになれなくてもわたしたちは、わたしたちには、生きる意味が、あるのよ。」

 

 

樹木希林さん、徳江さん、みなさん、ほんとうにありがとう。