フランスの作曲家のミシェル・ルグランが亡くなった。
わたしにとっての彼の音楽はやはり「シェルブールの雨傘」と「思い出の夏」。
「シェルブール」は2012年6月に記事にしている。
映画「おもいでの夏」。
昨日は最高気温がマイナス6度と流石に凍りつきそうなほど寒かったし、季節はずれの話題かもしれないけれど、どうしてもこの作品をとりあげたい。
この映画は、少年が大人になっていく過程に起こる女性への憧憬を描いた忘れることができない永遠の傑作だと思う。
誰もが通る大人への憧れと思春期の性への渇望。
何よりも、ちょっとしたことでドキドキしてしまう年頃だ。
同じ題材を描いた映画では、「マレーナ」と「青い体験」がある。
「マレーナ」は、「ニューシネマパラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督が製作した。
主役のモニカ・ベルッチは少年の憧れの女性だった。
こちらはセクシーな女性というイメージ。
監督はじぶんにとっての「おもいでの夏」を作品化したかったのではないか。
ただ「おもいでの夏」を越えることはできなかったと思う。
イタリアのサルバトーレ・サンペリ監督の傑作「青い体験」のラウラ・アントネッリは義母役で大人気となった。
「おもいでの夏」のエンディングはなんといえばいいのだろう。
どうしてあの夜は、あのようになったのだろう。
原作者が、あれは実話と話したらしい。
それにしてもジェニファー・オニールの美しさには参ってしまった。
あの明るく清楚で優しい姿にわたしも憬れた。
「私は15歳の夏を家族と過ごした
丘の家に彼女はいた。
彼女を初めて見た日から
私が感じたのは
かつて経験のない胸のふるえで
私を混乱させた。
彼女に対し私が味わったのは
不安であり
誇りであり
無力感だった」
1942年の夏、家族とバカンスにやってきた島で、性への好奇心と大人になるために背伸びをする
15歳のハーミー(ゲーリー・グライムス)が、丘の上の一軒家に住む美しい人妻ドロシーに恋をする。
そして「マレーナ」と同様に夫は戦争に出兵し、命を落すのだ。
マレーナはどうなったのか。
ドロシーはその後どう生きたのか。
戦争といえば「ひまわり」がある。
戦争で引き裂かれた夫婦の物語。
知らないひとはいないだろう。
戦争がいかにふつうの人々の幸せを破壊したのか。
国家のために、国民は犠牲になるべきだというのが戦前の国家観だった。
戦後憲法が、国家よりもひとりの人間の人権と自由を大切にしようという視点を作り上げた。
「おもいでの夏」は、そこまで具体的には突っ込んでいない。
マレーナは後半、あの有名な広場のシーンとして象徴化された。
しかし、戦争が彼女たちの幸せを奪ったのだ。
そこに悲劇が生まれた。
なんともいえない切なさでこの映画は終る。
その終り方が、こころに染み込んでいく。
ミシェル・ルグランのこの名曲は見ているひとたちをどこかへ連れて行ってくれるような気がする。
この美しいメロディは切なくも、儚くもある。
メロディがハーミーのこころを見事に表現してくれている。
ドロシーのこころもそうかもしれない。
ひとりのこころをこれほどうまく描いた作品はまれだと思う。
アカデミー賞の音楽賞を受賞したのは当然だ。
誰しもが通る思春期の恋をこれほど美しく表現してくれた音楽もない。
彼が次の日、彼女の家を訪れたときのシーン。
こころのなかにあるものは、情景や表情であらわされる。
あの突然訪れたふたりだけの一夜。
寂しさはどこからくるのか。
さまざまな思いを抱きながら、彼はこれから大人になっていく。
彼は生涯忘れられない最高の女性と出逢ったのかもしれない。
人間は成長の過程でどのようなひとと巡り合ったかで、歩いていく道が違うものだ。
愛について、どう考えるのかも出逢いによって変わるのかもしれない。
だからこそ、愛することが大きな意味と価値を持つのだろう。
人生にとって愛ほど価値のあるものはないのかもしれない。
