わたしたちは、情報の洪水に巻き込まれているのだろうか。

 

その中から、じぶんが探している情報を見つけられたらうれしい。

 

便利になったものだ。

 

検索次第で詳しくもなれる。

 

しかし向こう側からやってくる情報は、どうしても偏ってしまう。

 

関心はあるけれど、今はちょっとというものもある。

 

今、必要な情報は何か。

 

わたしの頭にある情報は偏っていないか。

 

足りない情報は何か。

 

その視点が大切だと思う。

 

 

先日、いつもの国連UNHCRから手紙が届いた。

 

以前は、長い文章で各国の難民の状況報告の書類が入っていた。

 

正直、重すぎてなかなか最後まで読むのは難しかった。

 

今回は、なんだろう。こんなものが入っていた。

 

 

 

 


 


気持ちが伝わってきた。

 

これだ。スタッフの思いだ。工夫が素晴らしい。

 

書いたものを剥がしてシールのように貼るふせん。

 

イラクで避難生活をしているイブラヒム少年が書いた絵だ。

 

もう一枚のマンガ入りの用紙には、イラクの難民は冬は寒くてたまらないという。

 

そういえば昨年は、ひざ掛け毛布をいただいた。

 

使わせていただいている。

 

ドーハでのあの熱い競歩を見ていたけれど、中東が寒いという感覚がなかった。

 

そういえば、砂漠は気温が下がると、余熱がなくなり夜は冷え込むと聞いたことがある。

 

サンテグジュペリを思い出していた。

 

彼はアフリカのモロッコだったが。



先日、ベルリンの壁が崩壊して30年たったので、あのとき旧東ドイツにいた

人たちが、どんな思いで生きてきたのかとのNHKのドキュメンタリーを見た。

 


人間は、権力に翻弄されて生きなければならないことが多い。

 

壁は無くなったが、彼らが働いてきた汗の中身は、西ドイツでは使い物にならないものが多かった。

 

それは彼らのせいじゃない。

 

もちろん政府も就業支援はしたようだ。

 

しかし遅すぎるケースが多かったのだ。

 

結果むごい仕打ちのようになった。


失業だ。

 

悪いのはホ―ネッカーなのだが。

 


香港も権力との闘いが続いている。

 

こちらは、反対で自由が失われるかどうかだ。

 

学生たちの暴力はいけないという意見はよく聞く。

 

しかし、香港行政庁は、市民よりも中国の顔色しか見ていない。

 

わたしは、あの天安門で殺された数千人の思いを2度とさせてはいけないと思う。

 

彼らも武力では到底勝てないことは十分承知している。

 

でも自由のために戦わずにはいられないのだ。

 

人間としての本能でもある。

 

香港理工大学に籠城する高校生が、母親にあてた遺言を書いているシーンを見た。

 

わたしは、声を失った。

 

彼らの「逮捕と死を恐れない」という言葉そのものだ。

 


この世界に調整役はいないのだろうか。

 

日本も含めて中国の顔色をみているので声が出てこないのか。


自由のためにファシズムを2度と産まないためにEUを作った諸国はどうしたというのか。


唯一アメリカ上・下院は香港情勢で中国の習近平体制に圧力をかけることを狙った超党派の「香港人権民主法案」を可決した。

 

あとはトランプ大統領がどうするかだ。

 


それにしても、わたしたちにとって自由とは何か。

 

もう一度想像してみよう。

 


さきほどの国連からの手紙にこう書いてあった。

 

「もしも避難生活を5年送っていたら、という状況を想像してみる。」

 


その場にたったことがなくても、同じ人間だから、想像してみることが大切なのだと思う。


離れていても、繋がっていると信じて生きていきたいから。

 


中東そして香港。

 

彼らも今、必死で生きている。