松岡さんが8月12日に亡くなられた。 
享年80歳 俳号は玄月、座右の銘は
「少数なれど熟したり」

(フリードリヒ・ガウス)

モットーは「生涯⼀編集者」







1か月ほど前、松岡さんが書かれた記

事に3度目の肺がんになって入院さ

れると聞き、さすがに難しいかもしれ

ないと感じていた。

しかし亡くなられたと聞くと、わた

しの人生を見つめ直すことになる

と感じた。

長い間、松岡さんに師事してきたよ

うなものだから。
松岡正剛さんから教えられたこと。

わたしは学生時代からずっと憧れ、

慕い師匠であり、勝手に弟子とな

っていた。

いつも「千夜千冊」から新しい知を玉

手箱を開けるように教えていただいた
わたしの感性の原材料のようなものを。

松岡さんは博覧強記で、新しい知の発

信力は驚くべきものだった。

わたしは聞く人たちの名も殆ど知らず

深い知性の持ち主たちだった。

出された本は必ず買って読んだ。

その都度新しい知識と世界を捉える

視座を貰っていた。

 

雑誌「遊」や自著の単行本のブックア

ートもご本人が多く関わった。

再販が不可能な「全宇宙誌」も作成

されている。

わたしは、松岡さんから教えられたこ

とを受け継ぐことができたのだろうか
ほんとうにあなたがやらなければなら

ないことを、やったのですかという声

が聞こえてきそうな気がしていた
吸収した<知>を新たに自分のもの

として展開できたのかという問題だ


雑誌「遊」にもわたしの投稿を掲載し

ていただいたときのことは、忘れない
世界的に著名なグラフィックデザイナ

ーの杉浦康平さんにもお会いするこ

とが出来た。

東京の編集工学研究所にも部外者

禁止の本楼で「千夜千冊1500冊」

の記念集いに辛うじて参加でき松岡

さんに初めてお目にかかることがで

き、少しばかりの会話もできた。

この席で千夜千冊で1500夜となる

柿本人麻呂の原稿を読み上げなが

ら、説明をされている途中松岡さん

が目頭を熱くされハンカチで目を拭

かれた姿を一生忘れない。

 

それだけ題材に熱い思いを抱いて

いた。

ダンディであり、謙虚な方だった。

資生堂の故福原名誉会長にもお

会いすることができた。

福原さんは、千夜千冊の膨大な

量の原稿の単行本の出版化に

尽力された偉大な人。ここから

松岡さんの認知度が急上昇し

たと思う。

また「日本文化の核心」を出版

し、その後内容の精度の高さ

に、色々な大学の国語の入学

試験の問題に採用されるよう

になった。


東京の丸の内の書店に「松丸

本舗」という画期的なレイアウ

トの書店を開いた。
わたしも一度行ったが、眩暈が

するほど魅力的だった。埼玉の

角川武蔵野ミュージアムの館

長にもなられた。本棚と本の
並べるレイアウトは松岡さん

作成だ。

近年は、千夜千冊は各ジャン

ルに分かれていまだに文庫化

され続けている。

今、各方面からの追悼の言葉が

続いている。たくさんのひとに出

逢い、対話を続けてきた人だか

ら。最近は滋賀県の大津地方に

対して次のステップ活動をしてい

た。

故郷の京都に近いこともあるだ

ろう。

それが最後の出版となった。

但し「近江ARS』というしプロジ

ェクトは続くようだ。
また未公開の出版も続くらし

い。


聞くところによれば、亡くなる前に編
集工学研究所のスタッフに今後のこと
について話をされていた。
ある動画で松岡さんが声を出すのも難
しいなか話され、最後に「ゆだねます」
とのことばで終わったのが印象的だっ
た。それはISIS編集学校のスタッ
フたちに。学校は継続する。

わたしたちにもゆだねられたのだ。 

落ち込んでいて、どうしたらいいか
わからなくなっていたところに、
前法政大学総長だった田中優子さんの
『【追悼】松岡正剛 終わりではなく
始まり』という追悼文が発表され、読
んではっとした。

「あなたのいないディストピアから、
私たちはもう一度、出発します。
あなたの代理はどこにもいない。しか
しその面影をめざす私たちが、無数の
「代」として、底を蹴り上げ、飛び立
つ時がきたのだろうと思うのです。」

読み終えて、何かの糸が切れたのか、
涙が溢れていた。わたしも、松岡さん
から教えていただいたことを呟き続け
たいと思っている。このデイストピア
から底を蹴り上げ出発する。

「われらはいま、宇宙の散歩に 
出かけたところだ」松岡正剛。
雑誌「遊」野尻抱影・稲垣足穂 
追悼号より。

松岡さんは、これから広大な宇宙を
駆け回り、未知の知を吸収し、わた
したちにいずれ還元してくれるのか
もしれない。

その前にわたしたちは、この地球に
住む世界のひとたちと共に、平和で
豊かな世界で生きられるようになる
ための努力を続けよう。
どれほど微力であろうとも。

松岡正剛さん。ほんとうにありがと
うございました。