日本はもうすぐ大晦日・・・年末年始の盛り上がりにはいっているのでしょう!

アメリカはクリスマスが終ったので、なんとなく静かです。

日本の年末年始はやっぱり楽しいよなー。


今日は、近所の湖までハイキングに行きました。

1時間くらい湖の周りを歩きました。

くだり坂のぼり坂が以外に多く、良い感じ~に疲れました。


たくさん歩いたので、その後アイスクリームを食べちゃいました。

その後家に戻って、軽く昼寝をし・・・

その後はイタリア料理を食べに行きました。本日のオーダーは

ラザニアとラビオリ

イタリア料理って本当においしいよなー。


ああ、楽しい1日だった。

こちらは年末年始の準備というのがないので

クリスマスの後は、本当にのんびりです。

HAPPY HOLIDAYS クリスマスツリー


私の職場のお休みは24.25.26のみで、あとは普通に働きます。

が、飛び飛び連休状態なので、気分は長期のお休みモード。


昨日(23日)はクリスマス前のお仕事。クリスマス前といってもかなり忙しかったー。

仕事にいけばそこはとても忙しい。が、ホリディーシーズンを楽しんでおります。


先週の土曜日は、ビーチ沿いをお散歩して、その後タイ料理を食べました。

タイ料理おいしかったなあ。

そして昨日は仕事の後に、近所のクリスマスイルミネーションを見に行きました。

ホットチョコレート片手にいろいろなクリスマスイルミネーションを見て幸せ音譜


そして、本日はクリスマスイブ。日本では24日が一番盛り上がりますが、

アメリカでは25日がやっぱり本番。そして1月5日くらいまで、クリスマスデコレーションは続きます。

クリスマスの後も、クリスマスが楽しめるのだ。


今日は、この後ビーチに行き、その後スーパーマーケットでいろいろ買って、

お料理を作ります。

私はクッキー担当です。

昨日深夜にバナナケーキを焼きました。いい感じにできて嬉しい!

今夜は、ピザ・ハム・サラダ・ケーキ・その他いろいろ。

後は暖炉の前で、ダラダラと過ごすこといたします。

あ~こういう静かな時間が私には必要なのであった・・・・・


一番身近な人、大切な人、人生をシェアーしていく人

そんな人々に感謝をする大切な日。

人は一人でも生きていけてしまいますが、

やっぱり他人とつながりたがっているのだなあと

感じます。

どちらかというと、ひとりで社会に立ち向かう暮らしぶりの私。


でもこんなふうに、群れにならぬともたくましくいられる原点は

家族や愛する人の存在が心の中心にあるからなのでしょう。

この1つ前のBLOG(といっても半月ほど前に書いたものだが)に妄想(潜在意識を使って)願いをGETすることを書きました。


どうでても欲しい事項があり、それを毎日毎日口考え、良い状況をイメージしていました。

良いことをイメージしていると、その過程が少々困難な状態でも前向きいられます。


さてその結果どうなったかと言うと、

その目的をGETするがごとく、よい情報が私のところに舞い込んできました。

風向きが急に変わり、私も不思議でした。


ただ、状況が良くなっても なぜか続く違和感のようなもの。

自分の意志が弱いのか?良い風向きの割りに起きている現実に「疑い」が生じていました。


不思議なことにある言葉がパッとでてきました。

それは「探したり、求めたりするのはやめなさい。」という言葉でした。


そこで物事を追うのをやめ、冷静になってみることにしました。

すると、良い状況かと思われたことの流れが止まり、

思いもよらぬ別の方向から、想定外のチャンスが流れてきたのです。


そしてそのチャンスは、驚くほどの自分の能力を超えているかに思われる大きなものでした。


これは全て、仕事と人間関係(協力者)をめぐる事柄です。

自分が想定していたことを忘れ(諦めるのではなく忘れる)

想定外のチャンスが自分の目的への別の道になったわけです。

そして自分のHAPPY度もアップしました。めでたしめでたし合格



少し話しがそれますが、最近感じること・・・・

人の幸せとは、物やお金ではけして満たされません。

それは幸せへの潤滑油には不可欠ですが。。

家族・本当の仲間・世間に奉仕することで得る自分の立ち居地など。。

こういったことがとても大切で、それが満たされると自然とお金と物もついてきます。

そんなことをこの1ヵ月しみじみ感じました。


以前父に「一体おまえはアメリカで何をしているんだ?金を稼いでいるのか?金を稼ぐんだぞ」と

電話をかけるたびに言われました。

アメリカに来たばかりの頃、それを父親に言われると、

なんという父親か・・・と思いました。

こういうセリフを姉には言わないからです。東京にいる姉には

「東京で何をしているんだ?少しは稼いでいるのか」なんて姉に言った事がない父。

こういう荒いセリフをなぜ外国で暮らす妹の方に言うのが、まるでイジメではないか・・・・と思ったことも

ありました。


しかし米国暮らしが5年目に突入した今なら、父の気持が分かるのです。

それは父なりの応援の言葉なのでした。

「誰にも負けるな。

タフにやっていくんだぞ。

頼れる人の数ではお姉ちゃんより少ないのだから。

アメリカ人に馬鹿にされるなよ。」

荒い言葉ばかり言う父。(オールドファッション?な父はなぜかアメリカでは日本人は馬鹿にされると思っているらしいむっ

おまえは馬鹿だけれど、ガッツは以外とあるからなーと子供の頃もよく心配してくれた。


電話のたびに、こんなことやっているよーと報告すると

「まーがんばれ。もっと稼がないとだめだな。一番にならないと駄目だ。お姉ちゃんとは違うんだからなー。」

と実にわかりやすい。

こういうことを言ってくれる存在は実はすごいのかもしれない。。。。。


と目的に近づくと

一番最初に思い出すのは、両親の顔なのであります。




アメリカに来てから、自分の力でやりたいことを実現していかなければならない・・・という覚悟ができた。

それは全てがゼロからのスタートだから、外の世界に期待をせず内なる自分の力を信じるしかなかった。


負けるとか失敗するという状況は設定せず進み続けるしかなかったのだが・・・


こんな毎日の中で偶然耳にする言葉に出会った

「潜在意識を使って、実現する」・・・ということ。


この潜在意識という言葉を以前はよく分かっていなかったのだが

確かに昔を振り返り、自分が欲しかった結果をゲットしたときは、

すざましい妄想で、成功のことだけを考えていたような気がする。


高倍率なため、駄目もとで受けろ・・・と言われた数々の学校の入学試験合格

さんざんさぼり続けた結果の成績を2ヶ月で復帰させたこととか

お金が欲しいなあと思ったときの採用通知。

将来は海外に住むという妄想のためかやはりアメリカにたどりついていたし、、

(でもこの妄想だけは、かなり細々しかった。それに場所もとくにアメリカというわけではなかった。)

アメリカに来てからも、棚からぼた餅状態で現在の就職先を得た。

車が欲しいと思ったときに、現在乗っている車に出会った。←しかも破格な値段で!!


こんな経験が私の妄想壁をアップさせたのであろう。

潜在意識の中に、自分がかなえたい夢をしつこくしつこくインプットすると

それが宇宙まで届くらしいですよ!


もちろん妄想しながらも、努力はしなければなりません。

妄想するからこそ努力ができるのかも!


私は、今 強烈にかなえたい夢があります。

それは、私一人の力ではどうにもならないこと。

人の心を動かし、そして初めて現実のものとなるやっかいな内容です。

正直、かなりのピンチな状況なので

このまま黙っていたら 自分が負けていくというのが話のスジです。


でも、この夢は必ずゲットしたい。。いわば簡単にあきらめられる内容ではないので

これから強烈な妄想モードに入って夢を引き寄せたいと思っています。


結果はまたBLOGで発表します。


かなえたい夢があるなら

毎日リアルにその夢の実現を妄想してみると良いですよ!


1週間経つのが いじょーーーに早いこの頃。

最近は、寒くて寒くてしかたがない・・・やはりサンクスギビングた近づくと気温がぐっと下る。

テレビもだんだんクリスマスモードの内容になってきているし。

こうして2013も終ってしまうのか。


最近、親孝行の話が話題にあがった。


今年は日本にいけなかったー。年末に一時帰国できれば・・・と思っていたが

あまりの忙しさで、そのモードにもなれず見送った。

お母さんお父さんごめんね。どれだけあなた達が私の帰国を待っていてくれているか

分かっている。


アメリカで生活がまわればまわるほど、日本での私の居場所が縮小していくことを

今年は感じた。

それでも、両親は私をいつも近くに感じていてくれる。すごい愛だなーと改めて思うのであった。


私が今 生きていけるのは、両親が私に全てのものを与えてくれたから。

そしてここで頑張れるのも、その与えられた命を世界のどこでもいいから、役立てたいから。

この2つが大きな理由なのかなーと最近しみじみ思う。


両親に会いに帰国したのが2012年の夏。もう1年半が経過してしまっているのかあ。

いつもアメリカに戻る時に、

できるだけ普通を装った。私の姉のように あたかも東京にでも戻るかのように装った。

成田空港まで送りたいという母を冷たくあしらった。


一度 弟と母が成田空港まで送ってくれたことがあった。

イミグレーションに向うときのエスカレーターの向こう側で

弟と母がいつまでも手を振っていてくれた。

だんだん姿が見えなくなると、実は泣きそうになってしまったのだ。

普段人前で泣くなんて絶対いやだ!と思っている頑固な私。

この空気を味わうのは2度とごめん・・・・と思い

それ以降 家族の成田空港出入りを自分の中で禁止したのだ・・・・(笑)


これが唯一 私が感じた「外国に住むということの現実」←これだけかよ!!(笑)


私の中では、外国で生活を営むということは

けしてセンチメンタルであってはいけない。

次に会えるのがいつなのだろう・・・と思うことであってはいけない。

姉のように東京と故郷間を簡単に往復できる感覚でなければいけない。

アメリカだろうが、どこだろうか地球の中の隣町という感覚でなければいけないのだ!


もちろん、普段の生活の中で日本を思い出すことがだんだん少なくなっている。

アメリカでの生活があたりまえになり、ここでの利便性に慣れてしまった。

完全に完璧なまでに生活の場となっているのだ。。時間というのはすごいなあ・・・・。


20代の頃も数年を外国で過ごしたことがある。

その時は住居としての外国滞在でないから

あまりセンチメンタルになることなんでなかった。

故郷の両親のことは思い出さなかった。

それは、日本に戻るということが前提だったからだろう。


アメリカに来て5年目を迎えた今年。

あと5年たつと10年になるのかあ。

その時、全ての自分の夢をかなえていたい。

自分の中にある目標のミッションを完了させていたい。


それが私にできる最大の親孝行なのだろうなあ。