大学4年になった
地元の同級生は 就活で忙しそうだ

といっても そんな情報は 
ヒロとのやりとりで知っているに過ぎないけど

成人式で 中学の同窓生と飲み会をしたあと
ヒロも2回ほど皆と会ったようだ

僕とのことを冷やかされて恥ずかしかったと
電話の声が嬉しそうだった

「みんな 言ってたよ クラスマッチのこと
自慢じゃないけど 私がバスケを優勝に導いて  
総合優勝目前だったのにアユムが……え?怒ってる?」

怒ってないよ ……
転んで僕は膝をすりむいて……そのお陰でヒロと始まったんだ 

「そういえぱ ヒロ 保健委員・・あの頃からナース目指してたの?」
「うん・・まあね 親の働くのを見てたのもあるけど
あることがきっかけで」
「あること?」
「うん 今度話すね」
「うん…わかった」
理由を聞いてみたかったけど どうやら我が家の夕食ができたらしい
ヒロも「お父さんが帰ってきた……じゃあね」と
電話をきりあげた

今年の七夕 7月7日には会えそうだった
金曜日
その日は授業がなく 実家にも帰るつもりだった

ヒロは 地元の病院で働き始めていたが 
都合よく 休みがとれたらしい

僕はあと2年は学生だけど 
ヒロにプロポーズするつもりだ

岩手から帰る電車の中でも 
将来のことばかり考えていた
ヒロのお父さんとも 今回は無理でも
なるべく早く会いたいし

就職もまだなのに 怒られるかな
僕は専門書を出し 活字をにらみ始めた

実家には明日帰る
まずは 今日はヒロとの七夕の約束だ 
そして 大切な話をしたい

駅に着いたのが 午後2時を回っていた
ヒロに電話をいれた
「着いたよ……来れる?ヒロに話があるんだ」
ちょっと予想してるかなと スマホを耳に当てた

「私も話がある… お父さんは定時で帰る日だから
外で会いたいの」
僕は 駅の近くのビジネスホテルを予約していた
ホテルの名前をヒロに伝えて電話を切った

ヒロの話って何?気になるけど 昨日だって 何も変わりはなかったし 嫌な話じゃないよな
お父さんに僕のことを話したら 反対されたとか?
ダメダメ マイナス思考ダメ 

ロビーで待つのも落ち着かなかった僕は
先に部屋にいくことにした
部屋番号をヒロにLINEして
僕は湯沸かしポットの電源をいれて
1つしかない椅子に座った

さほど待つことなく ヒロは部屋にやってきた
お湯もちょうど湧いたところだった

「私 淹れるよ 座ってて 朝早くて疲れたでしょ」
コーヒーの ドリップパックをカップに乗せて
ヒロはお湯を注ぎ始めた 

エアコンが少し肌寒いくらいだったので
「ホットするね」僕が言うと
「バカ」
笑いながらヒロはベッドに腰かけた僕の横に座った

「ヒロの話から聞くよ」
うん・・と言って 話し始めたヒロ


私は・・・ 病院で働く両親の元に生まれて
1才になる頃には 保育所のお世話になっていたの
両親は忙しかったけど
私といる時は たくさん遊んでくれたし
仕事をしている姿も見たことがあって
私は尊敬していたから

兄弟がほしいって 思ったことはあったけど
保育所にいけば たくさん友だちがいて
年上の子年下の子 みんな兄弟姉妹みたいだったから
さびしいと思うことはなかったの

アユムと ブランコで会ったのも 保育所の帰り
運転しているお母さんに 
「あ!ブランコがある・・ 乗りたい お母さん 乗りたい」
その日 保育所で一度も乗れなかったから
お母さんに・・甘えてしまったの
お母さんも疲れているはずなのに 私の漕ぐのを
ニコニコ見ていてくれて
やんちゃな男の子が 隣でビュンビュン漕いでいるのを
少しハラハラして見ていたけど
私は のんびり漕いでいて それでよかったの

お母さん 帰りの車の中で
「ヒロちゃん 珍しいね 競争しなかったね~」なんて言ってた 私は競争より 横で漕いでるのを見てるのが面白かったの・・・
だって競争したら 隣が見えなくなるなって
小さいなりに思ったから 
……あれが初恋だったのかな

小学校にあがったら 学童保育で 5時まで過ごして
私は鍵っ子になったけど でも お母さんは6時前には帰ってくるし 1人で待つのもこわくなかった

1年生も3ヶ月が過ぎて
7月になり 七夕の日だったの
私は 熱を出してしまって 夏風邪かなって
学童には向かわずに帰ることになって
お母さんに学校まで迎えにきてもらったの

車がある交差点にさしかかったときに・・・

一台の自転車が倒れるように前に現れて
避けられずに ぶつかってしまって

お母さんはすぐに車からおりて 
近くの人に
「救急車 お願いします!」って叫んでた

大丈夫ですか?
大丈夫ですか?って車の中にも声がきこえてきた

私はこわくて 車を降りられなかったから
窓から外をみて 震えていたの

1年生らしい 黄色いカバーのランドセルをしょった男の子が バーチャン バーチャンと泣き叫んでいて
自分も膝を擦りむいていたけど
おばあちゃんの事を心配そうにみてた
膝から 血が流れて 靴下にまで 赤い線が届いてた

お母さんは夜には 家に帰ってこれたけど
もう いつものお母さんじゃなくて
3日後に そのおばあちゃんが亡くなったと知った時には一晩中泣いてた

でもある晩 ふと目が覚めたら
隣の部屋から話し声が聞こえて 
「篠崎さんも 許してくれたよ だからもう自分を責めるな」
お父さんが お母さんを慰めてた
「おばあちゃんが飛び出さなければって篠崎さんも言ってくれたよ 
 見ていた人の話じゃ アユムちゃん!と名前を呼んで飛び出したって」

私も 小1だったし 忘れていることがほとんどだけど
篠崎さん アユムくんという名前が耳に残って
あの男の子は シノザキアユムって言うんだと
ずっと忘れることはなかった

アユムって あのブランコのときの?と思ったけど
泣いてた顔じゃわからなくて 

お母さんは 立ち直ることができずに
元々 心臓の持病を持っていることもあって
私が3年生の時に 亡くなってしまったの

最後まで 自分の罪は償えていないと
そう思っていたみたい
私も そんなお母さんを見ていて 
篠崎さんの家族にも歩くんという子にも 
加害者であるような感覚を持ってしまっていた・・
そんなことお父さんにも言っていなかったけど

そして 私は 大人になったら看護士になろうと
その頃から思い始めてたと思う・・・

それから・・・中学生になって入学式の日
どのクラスかな……と  
貼り出された掲示板に近寄って

一組から自分の名前を探して
『篠崎 歩』の名前を見つけた時は 衝撃が走ったの
自分の名前ももう探せないくらいだった

お父さんが「どうした 紘夏 3組にあるだろ 名前」って教えてくれたけど アユムの名前があったことは私 言えなくて なぜか
お父さんが気づいていないなら 言わなくていいやって思っちゃったの

私に何ができるわけではないけど
でも いざというときは 自分の命に変えても
『篠崎歩』を守るんだって 
日に日にそう思っていた
なかなか そんな場面はないけど 
毎年 保健委員になったのも 少しでも医療系に関わっていたくて
養護教諭の先生にも 折に触れ手当てのことなどきいて
アユムだけじゃなくて みんなの役にたてたらなって
怪我をした人を手当てするくらいだけど……

2年になったら アユムと同じクラスになって・・
しかも 初日から後ろの席にいてドキドキしてた
私 ブランコに乗っていたときと
同じ気持ちになってたの

でも 好きになっちゃいけない
ごめんね お母さん・・お母さんの代わりに私 罪を償うね
そう言い聞かせて
だから アユムのこと 好きなのに・・・逃げてた 
自分の気持ちから

ごめんね アユム 
もっと早く話すべきだったけど

告白してくれた時に 
話すべきだったかもしれないけど
私の好きな気持ちも
もう我慢ができなくて
だから 今まで黙っていて 
ごめんなさい・・・


そこまで話すと
ヒロは もう 何も言えなくなっていた


つづく

#中川大志