昨夜から読み始め
今朝9時半 読み終わりました
(文字が大きく 読みやすい!)
ドラマ放送後2週間 
遅ればせながら・・です

実は 私 ドラマを観ていて 泣かなかったのです
(絶対に泣けちゃうと思ったのに)
大志くんの3ヶ月ぶりのドラマ
楽しみで楽しみすぎて


共演者の方々 ロケ地 その他調べて
カウントダウンのブログもまとめて・・
出演が決まったニュースを知って すぐに購入(取り寄せて)したのですが 読まずにドラマを観ようと決めていました
フィクションではなく 本に書かれていることは 全て事実だから 読んでしまってドラマを観て 「あれ?ここは事実と違う」とか余計なことを思いたくなかったこともあります
実際 2人のお姉さんは登場していないので 冒頭から あ
そうなんだ とか 横道にそれることを考えたくない

決してそれを否定しているのではなく
フィクションでも 原作とドラマは違うのは当然・・くらいに思っているので そこは構わないのです
でも 今回はまず ドラマを観て 後から原作を読もうと決めていました

話を戻すと 色々と調べて情報を得て 気持ちも盛り上がってきて 絶対に泣けちゃうと思いました
家族と一緒に観ていると 気恥ずかしさもあり
また 大志くんが出ていることでの演技や表情を見てしまうということもあり
じわっと 込み上げるものもあったし うるうると来るものもありましたが 涙は流れなかったのです

でも 先ほど 文字が見えなくなるほど 涙で目の前が霞みました 
正幸さんが試合に出るぞ・・のあたりから
古田先生の言うように 
入っても入らなくてもいい
シュートを打たせてあげたい
倒れた日からのここまでのことを読んでいて 本当にそう思えました シュートが決まることは知っているのですが 
このコートに立ち シュートを放つこと
不可能だと言われたことができること
それは 一言では言い表せない

母の一女さんは 上手く行かなかった時のわが子の落胆を思い どうしようもない不安を抱えていましたが
ここに立てたこと自体の偉大さを思えば・・というのは やはり身内ではないからかもしれません

ダイヤオレンジ母 一女さん
倒れてからも リハビリ中も お母さんは一度も泣くことはなかったそうです 
正幸さんが倒れた日も 駆けつける人たちにお握りや飲み物を配り 古田先生には他の生徒のところに戻るよう促し そして『この子が倒れたことは 先生のせいじゃないから もし何か責任を問われるようなことを言われても 親がそう言っていたと言って』ということを伝えます 内心不安でいっぱいだから それを打ち消すように気丈に振る舞っているといえばそうだったのかもしれません そこは わかる気がします
でも 1人になった時に涙が溢れてくることはなかったかというと 1人のときは寝ていたそうです
病院やリハビリの施設でも 今まで見たことのないものが珍しく新鮮だったと・・
強い人なのは間違いなさそうです
正幸さんも その血を受け継いでいるのでしょうね


ダイヤオレンジ正幸さん
強い人です そして優しい人です
納得いかなければ 自分の考えを訴える人ですが
そういうことは滅多になく 人の言うことを受け止め受け入れる人
読み終えて 私が思ったのは・・・
(お母さんも含めてですが)
命が果ててなくて 今生きている
全く動かないのではなくて (意識がないのに)足が動いて布団を蹴る
言葉は出なくても 声が出る
自力で歩けないけど 平行棒につかまり一歩は出る

昨日全くできなかったことが ほんの少しでもできる
例え1ミリでも
そこに可能性を見いだして 前に進める人なんだな
バスケットボールはもう無理でしょう
そう言われても もう一度やりたいと その夢に向かい諦めない
それは 自身の強さも当然あるが 『縁』・・

ダイヤオレンジ
『縁』と書いて 「よすが」と読みます
縁とは『 寄す処』・・「心や身のよりどころ」を指すそうです つまり人との縁は心のよりどころになるということなのでしょう(以下 作者の言葉)
正幸さんが前向きになれた3つの理由は すべて周りの人との縁であったと 
丸谷先生(リハビリの先生)との絆 ともに訓練に励む仲間 山梨にいる人たちの存在が心の支えだったのでしょう
丸谷先生は 目の前の正幸さんの状態だけでなく 正幸さんが中学のときのバスケのプレーの映像を見たり 興味のあることを探ろうとしたり・・心の距離も縮めるよう努めてくれていました
リハビリ室では 怪我や先天性の疾患 装具をつけている人や車椅子の人 互いに見えない言葉で励ましあっている感じがして 
仲間とのふれあいが正幸さんの心を育て大きくしてくれたのです
山梨で正幸さんの帰りを待つ中学の時の担任 二宮先生は 意識の戻っていない正幸さんの携帯にメールを送り続け 左足で布団を蹴ってしまう話をきくと
せめてお腹を冷やさないようにと タオルケットを買いに走ったそうです
この3つの理由以外にも 縁(よすが)は 正幸さんの周りには 溢れるほどありましたね

ダイヤオレンジリハビリ
正幸さんは手術後 退院して神奈川リハビリテーション病院でリハビリをしているが 後に柏塾という施設で
柏木先生にお世話になっています
この柏塾でのリハビリが相当きつかったらしく 
正幸さんの感想も 神奈川リハでは『とにかく頑張った』しかし柏塾では『痛かったし辛かった すごく厳しかった』とかなりのハードさを感じさせます
リハビリを見守っていたお母さんにも 「見られたくない」と言い出した正幸さんは どれだけ歯をくいしばって乗り越えたことでしょう
柏木先生はバスケのことも研究して 『プレー中の中腰の姿勢が保たれないといけない』ので 体の軸を意識するような訓練を取り入れること 後に正幸さんのプレーのビデオをみて 小柄な彼がジャンプが好きそうに感じ ジャンプの練習も取り入れていきました
ジャンプかできても着地ができなかったのに 2週間でマスターし何と70cmも 飛べるようになったそうで
それ普通にすごいですよね

ダイヤオレンジ
前述とかぶりますが お母さんは泣かない
正幸さんも泣かない
中学の県大会決勝 勝てば全国に繋がるその試合に負けたときも 他の皆が泣いていても 泣かなかったそうです

「その次に取り戻せる だから泣かない」
次の目標がある限り 泣かないのだそうです
2011 箱根駅伝で「山の神」と言われた東洋大のエース 柏原竜二さんは僅差で早稲田大学に敗れた時に(あ!もしかしたら大迫傑さんの時かな?)1人泣かなかったといいます 泣くと悔しさが晴れてしまう・・なるほど!
強いアスリートは やたら泣かないのですね

少し前 大迫さん マラソンで途中遅れて 盛り返して優勝 オリンピックを決めたとき 思わず込み上げていました
いつもクールで強気な所を見せていますが こちらももらい泣きしそうでした 苦しさ辛さを乗り越えてきたからこそ!ですね

お母さんは泣かなかったけど お父さんは泣いていたんじゃないかと・・・
ドラマではお父さんが作っていたバスケのゴールですが 実際は大工さんに作ってもらって取り付けたそうです 鯉のぼりの支柱に取り付けたけど 
ゴールをは中学では2m60cmの高さですが 高校では3m05cm つけ直したそうです
読もうと思って本を開いた時に この写真が目に入って
田中家の守り神の様に思えて じーんときちゃいました

ドラマでは 復学して 帰宅した正幸(大志くん)が ゴールを見つけて 顔が輝いていましたね
そう 倒れてから1年後 正幸さんは日川高校に入学しました


ダイヤオレンジ山梨県立日川高等高校
正幸さんの家から日川高校まで駅から歩くことも含めて一時間半弱かかるそうです
正幸さんは失語症状もあったことなど 学力面の遅れも心配され補習もあったので 他の生徒より早く登校 その送り迎えを3年間 古田先生が面倒見てくれていたそうです
元々チームの強化を目指し 正幸さんにその核になることを期待していた古田先生は バスケのスキルはもちろん 人間として正幸さんを認めていたのですね 
責任を感じ お世話を申し出たのでしょうね(お母さんの言うように先生のせいではないのですが)

日川高校は山梨市にある県内でも指折りの進学校で 作家の林真理子氏も卒業生だそうです
財界にも 多くの人材を輩出 ラグビーでは花園(全国大会)の常連校と言われています

高校入学して 正幸さんはバスケ部練習にも参加したが
古田先生は 桑原健太さんにお世話係を頼みました
この健太さんは正幸さんの中学の後輩で 神 と崇めているほどなのですが 健太さんのサポートは 良き塩梅だったのだろうと伺えます
正幸さんができそうなことには手を貸さず 必要な時に動いて ドラマでは前田旺志郎くん 好演でしたね

ダイヤオレンジバスケ部
入学して1年 古田先生は正幸さんに 皆に自分のことを話してみないかと提案してきましたが それは「まだ自信がない」と実施しなかったそうです
2年になり 試合でベンチ入りするようになりました
もちろん古田先生の計らいです 好きに動いていいと
そうすると 選手の世話をするのももちろん アドバイス
バスケ博学からのコーチのような存在にもなっていった正幸さん
そういう姿をチームメイトは反発することなく受け入れました
それは信頼され 説得力のある正幸さんだかれに違いありません
ただ逆に そこか葛藤でもあったようで 
本来 このコートに立ちプレーしたい自分が 皆のプレーをみてコーチする・・・ 自分の心の傷との闘い
誰にもわからない苦しみを味わっていたかもしれません

ダイヤオレンジ一本のシュート
3年生になり 最後の大会もやってきます
ドラマでは 古田先生が言い出して チームの皆に尋ねていましたが 実際 メンバー達から 正幸さんを試合に出してやりたいと思い始めていたようです
でも ベンチメンバーに入れなかった3年生が4人いました
この4人は 走ったら正幸さんより早く走れるし
ボールも当然自由に扱えるでしょう
入学して 2年間たゆまぬ努力をしてきた正幸さんを試合に出してあげたいと思いつつも メンバー全員大事に思っているのは当然
古田先生も辛いところもあったと思います
また 予選の初戦で 決勝とは重みが違うとはいえ 負けたら終わりだし 対戦相手にもどこか失礼なのではという思いもあったでしょう

正幸さんがベンチ入りをして 大差で終盤に入れば
出場のチャンスあり
残り3分32秒 その時がやってきました
相手の塩山高校の上村監督にも 立ち上がった正幸さんの姿が見えました
「意識しないでやろう」
相手がどんな状況だろうがリスペクトし ベストを尽くす 上村さんも正幸さんを認めていた1人
試合のあと 塩山高校のメンバーも正幸さんを称えていました
左手一本のシュートが入ったあとも 2本シュートしましたが そちらは入らなかった・・でもブザーが鳴るまでプレーした正幸さんは
試合のあと うずくまって初めて涙を流したということです
一本のシュートが決まったことの喜びはもちろん 倒れてからの3年3ヶ月が 脳裏に押し寄せてきたのでしょうか



ダイヤオレンジバスケからの卒業
「僕 もうバスケットはいいや もうコートには立たない
バスケはもう 僕にとってみるものになりました」

『シュートを決めたあの輝くあの日に 
実は倒れた時以上の大きな挫折を味わったのではないだろうか・・・自分はもう ここまでだと』

私は この一文に 衝撃をうけました
だからこそ あの一本のシュートが
弧を描いて ゴールネットを揺らしたこと
そこに集約された壮大な背景
それは本人はもちろん 家族 友人 
恩師を含む学校関係者
病院関係者 
リハビリに関わった人たち

入っても入らなくてもいいんだ 
そうやってコートに送った古田先生ですが
シュートがゴールになって決まった時に
全てがひとつに集まり固まり それがまた皆に跳ね返って

日川高校の野球部も30年ぶりの甲子園出場を決めた
小学中学で共に闘い 別の高校に進んだ 山梨1、2を争った清水湧さん 離れていたバスケを再度始めて
正幸さん効果か他にも波及していました
(清水さんは後に怪我してしまいますが)

ダイヤオレンジとりとめもなく 感想文擬きを書きましたが
途中で 二宮先生が 道徳の授業で扱いたいとの話をきいて おおっと思いました
私も 全部の学校に 円盤化したドラマを配布してほしいと言わせて頂いていたので
友情 家族愛 不屈の精神 ・・
子どもたちにも響くのでは?
読後 一番思ったのは 成功しなかったときに
(上手くいかなかったときや 試合に負けたとき)
そこで泣くか 諦めずに次の目標を見いだせるか

それを自分で掲げられるか そこが大きいかな

田中さん 目標にむかってますよね


もう一度 明日の朝に ドラマ観ます
1回目よりも 深いところで 観られるような気がします