映画「ミュージアム」感想(ネタバレ有)
三月にこのブログを始めてから、中学三年生の怒涛の忙しい生活が始まり、半年近く放置してきましたが、一段落ついたというのもあり、細々と再開していこうと思います。さて、ただいま上映中の、小栗旬さん主演「ミュージアム」についての感想を書こうと思いますが、めちゃくちゃネタバレ満載なのでご注意を。では一応、あらすじを書いておこうかな。雨の日だけに起こる猟奇殺人事件を追う刑事の沢村久志。犯行現場に残された謎のメモや、見つけられることを前提としたかのような死体から、カエルのマスクを被った犯人像が浮かび上がる。通称・カエル男と呼ばれるようになった犯人を追い詰めていく沢村だったが、次の標的が自身の妻だと分かり…まず先にこの映画の評価をいうと、厳しく見て60点です。確かに全編通してのノンストップ・クライムサスペンスで、カエル男の次の標的が沢村の別居中の妻だと分かった後は本当に手に汗握る展開が続きます。しかし、よくよく考えてみると、首をかしげる場所がたくさんあるのです。そもそも、この映画の致命的な欠陥はカエル男を描き切れていないということでしょう。自身の殺人を作品と称し、それらを自身のミュージアムに閉じ込める、という戦慄の連続殺人鬼ですが、彼の「作品」についての描き方が非常にぞんざいなのです。これを「異常者だから私たちにはわからない」と説明するのは的外れです。自分は演劇を作っていくのを通して、「○○はどういうキャラだからこうするんだ」という考えでシーンを構築していくと、そのシーン全体の登場人物は脚本の域を出ず、シーンが死んでいくということを身に染みて感じます。、「○○はどういうキャラ…」というのはストーリーを進展させるために作り手が強引に登場人物に行動を当てはめているということを意味します。そうなれば観客が「おかしいな」と思うのは必然でありましょう。今回、彼は自身の犯行を他人の犯行だと断定した裁判員たちに残虐な形で復讐していくのですが、個々の作品については、被害者の趣味や境遇に合わせてもてあそんで殺すということで一応の納得はできるのですが、その作品が集まってようやく「作品」が完成する、というところが理解しがたい。つまりその作品は彼の「ミュージアム」に入るということなのですが、彼にとってその「作品」さらには「ミュージアム」が何を意味するのか(もしくは何も意味しないただの美なのか)が全く分からないので、観客は置いてきぼりを食らうわけです。ただ、彼は捕まる際、「みんながよってたかって僕の行動を説明する」と述べています。これは自分の行動は誰にも理解されないんだという寂しさと優越感を指していると思われますが、つまりこれは「異常者のことを理解しようとしても無駄である」というある種のメッセージともとれなくもありません。そのためにあえて、「作品」や「ミュージアム」について言及しなかったという可能性も無きにしも非ずですが、それならばカエル男がバラバラ殺人の遺族だという設定は蛇足。カエル男について踏み込んで描くのか、それとも逆に全く描かないのか、はっきりとしてほしかった。とはいえ、結末はなかなか秀逸。カエル男との死闘を切り抜け、何とか日常を取り戻した沢村だが、その息子に、カエル男と同じ紫外線アレルギーが現れる=息子が第二のカエル男になるということお暗示して終わります。「最悪のラスト」が謳い文句なだけに、「こんな終わり方で大丈夫か」と思いましたが、いやはやそういうことか、と。ひねりのきいたいい結末だと思います。全体的には、小栗旬さん、妻夫木聡さんの熱演もあって、決して悪い映画ではなかったな、という感じでありますが、やはりカエル男が宙ぶらりんでは、というのもあって、60点かなあ、という感じです。マア長々と書いているんですが、実はあと一週間で期末テストということもあるので、はやく勉強に戻りたいと思います。ううう。つらい。