みなさんおはようございます。


能登半島地震から1ヶ月経ちました。



あっという間なのか、どうか。


ようやく少し前に向けそうな気もします。


仕事はなんとか行ってましたが、仕事上笑うようにしたり、その場でこなすことが精一杯で、本当は笑える状態でもなく、つらい日々でした。他に仕事ですべきことがあってもパソコン💻打つこともできず、家ではぼーっとするか、能登の情報仕入れるか、家族からの現状メールや今後のことのメールのやりとりで1日が終わりました。一応少しは睡眠もとれるようになり、食事もできる時はできますが、一進一退。消防車見るとやはり被災した時を思い出します🔥



何度仕事を辞めて能登に帰ろうと思ったことか。こんな時に呑気に金沢で仕事してていいのかと思いましたが、今後お金がかかることを考えると仕方ないかなと思い働いていました。


恐らくこんな感じで被災した石川県民、そして、加賀地方に住む方、家族に被災した人がいない人もそれなりに心痛めて過ごしたと思います。


⭐️注、ここから被災したことを書いてあるので読みたくない方はご注意を






被災した1月1日は家族で気多大社に行きその後妹の羽咋のアパートで食事をして、アルプラザ鹿島でお買い物をしていました。



16時10分は食品を買い終え、食品を詰めていると、携帯から緊急地震速報が一斉に鳴り響き、どよめきがあると同時に震度4程度の揺れがアルプラザ鹿島を襲いました。それ程でしたが、余震かと思い、すぐに自宅に戻ろうとして、私はパン屋に行き、両親と妹はそのまま出ようとしていた時また緊急地震速報⏰

そして、地鳴りのような音と共に大きな揺れ、すぐに屈んで、頭を抑え、店内騒然。悲鳴と凄い物音⚡️

恐ろしい大きな横揺れの中パンは落ち、1階の天井はミシミシと音がして、砂埃が落ちてきました。沢山ものは落ちてきて、お客様は大パニック。みなさん出口に向け走り出します。


停電し、煙が発生、火災が起きてたようめした。


自動アナウンスでアナウンスで「火災発生、火災発生直ちに避難して下さい」とともにスプリンクラーが一部作動してました。辺りは煙の中両親を探し見渡していると動けなくなっていて、店員さんに助けられてるのが見えました。矢先に火災のためシャッターは降りてきて、このままでは閉じ込められそうになり、店員さんが「お客様こちらです」と手を引いてもらい外にでました。

恐らく震度6程度の揺れでしょうか。


離れ離れの家族を探しなんとか落ち合いました。


沢山の人が荷物を置いて走ってと店員さんの的確な誘導により、全員無事に数分以内で避難できました。

「店内はそのうち壊れますので入れません」と店員さんが叫んでいたのが印象的でした。


その後も緊急地震速報はなりやまず、数分おきに震度5以上の地震がおきてました。みなさん職員の指示により駐車場で避難してました。


ネットをみると志賀町震度7、奥能登震源とでていました。すぐに未曾の大震災がきてることを予測しめした。同時に津波警報が発令し、辺りは大パニック!

中能登町の避難所に行くべきなのか、七尾に戻るべきか、実家をみて近くの避難所に行くことにしました。父の薬は特殊ですぐには処方できないけど、重要な薬のため取りにいきました。


それまで道中でも地震は続き、道もすでに七尾に向かうに連れ悪くなり、大きな亀裂もあり嫌な予感しながら自宅へ向かってました。



これが中能登町のアルプラザ鹿島での被災状況でした。






全く撮れてなかった災害時