カフェ『AQUA』㉘みんな変わっていく【小説】  | makoto's murmure ~ 小さな囁き~

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「こんにちは」
元気にAQUAの扉を開けた瞬間。

「青葉ちゃん」
「お帰り」
マスターとママさんの声が聞こえた。

「遅くなりましたが、やっと帰ってきました」
「お疲れ様、大変だったね」
ええ、本当に。

心配性で頑固なパパを説得するのは簡単なことではなく、高村さんが出張に行ってから2週間もかかってしまった。
最後には高村のおじさままで出てきて
『良いから行かせてやれ。青葉ちゃんは将来うちの嫁になるんだ。伸と俺が良いと言うんだから問題ないだろう』
と、パパを説得してくれた。

お陰でやっと戻って来られたけれど、半月以上もかかってしまった。

「どうぞ、ブレンドで良かった?」
「はい」

うーん良い匂い。
この匂いをかぐとホッとする。

「あの、バイトってまた使ってもらえますか?」
随分お休みしてしまったから、新しい人が決まっていたりして。
「是非お願い。今ね、人手が足りないの」
ママさんのうれしそうな声。

へ?どうして?と聞こうとした時、
カランカラン。
お店の戸が開いた。

あ、神崎先生。

「あら、青葉ちゃん久しぶりね」
「はい、ご無沙汰してます」

「マスター、アイスコーヒーをお願いします」
「はい」

カウンター席に座りお水をゴクゴクと飲む神崎先生。

「ハアー疲れた。土曜日の救急って何であんなに混むのかしら」
カウンターに倒れ込むようにぐったりしている。

「お疲れですね」
「ええ、誰かさんのせいでね」
「へ?」
誰かさんの、せい?

「神崎先生、青葉ちゃんはまだ何も知らないんですよ」
マスターが困ったなって顔をしている。

「え、何を、ですか?」
「そうか、ずっと留守だったものね」

どうやら私のいない間に何かあったみたい。

「あ、青葉ちゃん、いらっしゃい」
厨房から出てきた若い男性。
って、海斗くん。

「何で?」
「今日は土曜日で学校が休みだから」
「そうじゃなくて」
何で急にAQUAの手伝いなんか始めたのかが知りたい。

「おやじがね、人に迷惑をかけるような奴には小遣いなんてやらない。欲しければ働けって」
へえー。
「それでバイト?」
「それだけじゃないの」
テーブルを片づけていたママさんが寄ってきた。

「何かあったんですか?」

「大地くんが辞めたの」
「はあ?」
何で?
もしかして、また逃げた?

「お向かいの病院で研修医として働くことになってね」
へえー、びっくり。

「たまたま一人休職が出て空きができたから、院長が直接声をかけたらしいわよ」
アイスコーヒーを飲みながら、神崎先生が教えてくれた。

院長がねえ。
確か、実家のお父様と院長が親しいって末実さんが言っていた。そういうことか。

「ちなみに休職したのは愛ちゃんね」
「へえー」
もう、『ヘェー』が止まらない。

「つわりもひどそうだったから、良い決断だと思うわ」

これは、先輩ママさんとしての意見かな、それともドクターとしての意見かな?

ブブブ。
神崎先生のポケットにあるPHSが鳴った。

「はい、はい。・・・戻ります」
はあー。
溜息をつくと、アイスコーヒーを流し込む。

「あいつ、絶対今度おごらせてやる」
右手をギュッと握りしめ、ファイティングポーズの神崎先生。

「あの・・・何が、あったんですか?」
さっぱり話が見えない。
「松本先生が病院を辞めたのよ」
「ええええー」
「青葉ちゃんうるさい」
「ああ、すみません」
でも、なんで?

「正式に離婚するんですって」
「そう、ですか」
「だからって病院を辞める必要はないと思うんだけれどね、あいつなりのけじめなのかな」
「けじめ?」
「そう、医者って派閥社会だからね。出身大学が後々までものを言うわけよ。あいつの場合も、大学の恩師の推薦でうちの病院へ来たらしいし。その恩師ってのが奥さんのお父さんでしょ、それで」

それでって。離婚すると仕事を辞めないといけないわけ?そんなのおかしい。

「救命部長は随分留めたらしいけれど、あいつも頑固だからね」

確かに、一度言い出したら聞かない気がする。
一見温厚そうに見えて、意外と厳しいものね。

「お陰で私が救急外来へ引っ張り出されているわけよ」

なるほど。そういうことか。

ブブブ。
再び鳴ったPHS。

「ハイハイ。じゃあマスター、ごちそうさま」
電話には出ることなく、神崎先生は駆け出していった。

***

「驚かせたね」
「ええ」
びっくりした。
まさかそんな展開になるなんて。

「それとね」
マスターの顔が何か言いたそう。

「まだ、何か?」
「うん。奏が店を閉めたんだ」

嘘。
「何で?」

奏さんはお店をとっても大切にしていたのに。
閉めるなんて・・・

「どうしてですか?」
「あいつなりに考えた結果だと思うよ」
そんな。
「マスターは止めなかったんですか?」
つい、強い言葉になってしまった。

「青葉ちゃん」
ママさんがやんわりと注意してくれるけれど、
「だって、奏さんがかわいそうです」

あんなに大切にしていたお店を、自分の意志で閉めるはずないのに。
おかしい、絶対におかしい。

「本当に、奏ちゃんが決めたことなの。色々な思いはあるでしょうけれど、これからの人生を考えて、お店を閉める決心をしたのよ」
「でも・・・」
私は、みんながいるこの店に帰ってきたかったのに。

「みんな生きなくちゃいけないからね。少しずつ変わっていくんだよ。青葉ちゃんだって、いつかはここを出て行くんだよ」
「それは、」
分かっているけれど。
今はもう少し、ここにいたい。

「さあ、今日は疲れているだろうから、明日からまたお願いしますね」
「はい」

そうか、明日からまたAQUAでの生活が始まるんだ。