グループサウンズ(以下GS)ブームの最中でありました1968年でありますが、ジャズ喫茶は元より様々なイベントなども盛り沢山ありましてそれは盛況でありましたからね。

 

 レコードがヒットし全国的に知られる事となりました人気GSなどは映画までも上映されまして凄かったのでしてね。

 

 翌年であります1969年も各事務所、業界もまだまだGS人気に期待をしていた事柄もありまして、この1969年4月にはGSの演奏場所であります新たなるジャズ喫茶がオープンしたのでしたからね。

 

 池袋に当時ありました池袋温泉が入っておりましたビルの1,2階に池袋ACBなるジャズ喫茶が誕生し盛大にオープンをしましたからね。

 

 この池袋には老舗とも言えますジャズ喫茶ドラムが10分程度の距離にありまして、こちらは堀プロダクション系列のGSが出演しておりましたよ。

 

 真新しくオープンしました池袋ACBは渡辺プロダクション管理ではありませんでして、当時、GSに置いてはそれなりに勝っておりました堀プロダクションがスケジュールの管理をする事になっておりました。

 

 私がショックを受けましたのがこの真新しいジャズ喫茶でありました池袋ACBでの出来事でありましてね・・・

 

 デビュー曲君に会いたいなど曲がヒットしそれなりに知られ有名になりましたジャガーズが出演しておりましたが、可愛そうかなお客さんは100人にも満たない悲惨な状況でありましたからね。

 

 ジャガーズの華やかな活躍をテレビなどで見ておりましたし、多くのファンを呼び込んでいるステージも知っておりましたので1969年のジャガーズの悲惨さには驚きましてね・・

 

 当時のGSコンサートとゆうのは多くのGSが一堂に集まってのコンサート(例えば日劇のウエスタンカーニバル)が多くありましたので、当然に各GSのファンが集まりますので、ただただ集客が多かっただけなのかな~?

 

 その時だけにあらずでもありまして毎回同じ様なもんでありまして、ましてやその他GSとなりますとその悲惨さは増すばかりでありましたからね。

 

 間違いなく当時の池袋ACBは毎日が赤字だった事と容易に想像出来ましたね。

 

 そんなに広くはありません池袋ACBでありましたが入場客は1階席にチョロチョロ程度で常に数えられる客数でありましてありまして間違っても2階席の入場をオープンするとゆう事はありませんでしたよ。

 

 かろうじて2階席が開けられオープンし1階、2階と満席になるのは失神GSとも言われて世の中を騒がせておりましたGS オックスの時だけが1階、2階が超満員であり1~4回ありましたステージ全てが入れ替え制になっておりましてオックス出演日だけは大盛況なのでしたよ。

 

 ちなみに入れ替え制と言うのは、通常、ジャズ喫茶は昼の部、夜の部に分かれておりまして2組ずつのGSが出演するのでありまして、2組のGSが30~40分のステージを交互に4回行うのでありましてね。

 

 2組のGSですから最初からのステージならば4回×2組のGSですから8回のステージを全て観る事が出来るとゆう事なのでありましてGSマニアであるならばお得感満載でしてね。

 

 で・・・

先ほどに戻りますが大人気GSとなりますとステージを観る事が出来るのは1回だけなのでありまして、1回のステージが終わりますと外で待っております新たなるお客さんとの入れ替えが行われるのでありました。

 

 この時期のオックスには人気者でもありましたオルガンの赤松愛の人気が凄いもんでありましたね。

 

 そんなバンドの超人気者の赤松愛がその数か月後のトンズラ脱退事件を起こすのでありましてね・・・

 

 赤松愛脱退でオックス人気にも変化が生じ人気低迷となり大きな曲がり角となりました。

 

 この赤松愛トンズラ脱退する前の2~3か月前の神田共立行動のオックスのコンサート会場に私はとあるスタッフの一員としておりましたので後のトンズラ脱退には驚きましたよ。

 

           (3)へ続く・・・