<福島第1原発>避難者、我が家で家族と2年ぶりの年越し | HID 取り付け 工賃、HID 取り付け DIY

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満天の星の下、福島県川内村・下川内地区の自宅に小野俊光さん(80)の笑い声が響く。「やっぱりウヂがあったけぇなあ」。東京から帰省した次女の平野久美さん(45)も「当たり前だけど家で家族一緒が一番だね」と笑顔を返す。住み慣れた木造平屋で2年ぶりに家族と迎えた年越し。そのぬくもりは、ここでしか得られない。

 自宅周辺は東京電力福島第1原発事故に伴う警戒区域になり12年3月まで立ち入り禁止だった。翌4月に避難指示解除準備区域に再編されたが宿泊はできず、今も普段は村内の仮設住宅に妻悦子さん(71)と暮らす。

 久美さんと一緒に帰省した孫の中学1年、智大(ともひろ)君(13)も合わせ4人で囲む大みそかの掘りごたつ。事故前と同じように智大君の好物のカニとすしが並ぶ。悦子さんが作ったのは白菜の漬物と豆腐のあえ物だけだ。悦子さんは「なんせ、長く住んでいなくて掃除が大変で。調味料一つさえなかったしね」と苦笑い。1年を振り返る会話が弾む。4人で行く恒例の初詣も、この元旦にはできそうだ。

 11年3月11日の巨大地震は、自宅近くの山でヒノキの枝打ち作業中に起きた。20年近く手塩にかけた山にも自宅にも、大きな被害はなかったが、原発事故を受けて村は同16日、全村避難を開始。小野さん夫婦も郡山市の避難所や仮設住宅などに身を寄せ、川内村上川内地区にある今の仮設に移ったのは12年7月。約3キロ東の自宅まで車なら約10分だ。「目と鼻の先なのに、なんで帰れない」

 福島県では12年、住民帰還へ向けた避難区域再編が始まった。4月1日の川内村と田村市の警戒区域解除を皮切りに、対象11市町村のうち6市町村で完了。大半のエリアが、立ち入り自由の避難指示解除準備区域か居住制限区域に。宿泊は原則禁止なので「せめて年末年始は」と自治体側が要望、政府も最長5泊の特例を川内など4市村で認めた。

 だが事前登録したのは、川内村の8世帯16人を含む156世帯525人。対象者の7%に満たない。避難の長期化で傷んだ家では過ごしづらいためだ。「帰っても元の生活には戻れない」と帰還自体をいとう考えもある。12年1月に最も早く「帰村宣言」し、村民に帰還を呼びかけた川内村ですら、戻ったのは1000人弱、3分の1は避難生活を送る。

 周囲の家々に明かりが乏しいことに話が及ぶと、俊光さんの声が沈んだ。「戻りたくない人がいることは承知している」。街灯だけが光る氷点下に近い村を見つめ、言葉を継いだ。

 「でも、誰かが先に帰らなければ村は元の姿には戻らない。仮の場所で人生を終わらせたくない。自分でできることを始めることから、復興は始まると思う」【神保圭作】