昨年末から、精神科の閉鎖病棟に入り、あまりのまったりさに、

「世知辛い世の中に帰っていけるんだろうか?」と、ぼーっとしてましたが・・・

 

帰ってきたよー! ただいま!(笑)

そして、退院の日取りを考えながら、自分ちの車のことを考えていました。

亡き両親を看取った後、相続?で継いだ車を乗ってたんだけれども、

70歳のお金持ちが、ゴルフ場とかに行くのを想定して買った国産車(外車は運転しづらいらしい)ので

ともかく、でかい。燃費悪い。しかも、高齢の母や、介護で疲れた私が、あちこちぶつけて、凹んでる。

御年13歳。4月に来る車検を通す気力は、もうなかった。

 

しかーし、私は、手持ちのお金が、今、ない。

コンパクトカーの中古車を買って、とりあえず、しのいどくか。

5年ほどしたら、キャッシュで、ぼーんと新車買うぜ。(根拠なし)

と思っていたんだけれども。

 

不思議な流れで、業者だけが入ることのできる車のオークション会場で競り落としてくる人を紹介され、

いろいろ見ているうちに、気が変わってきた^^;。

 

「とりあえず」て、なんやねん。

これから、自分を大切にすると決めたやん。

子どものことを優先せず(息子3人いる)、自分の優先順位あげると決めたやん。

 

ということで、ミニクーパー買いましたー!

ナンバープレートは、私が、ラッキーナンバーと思ってる、ぞろ目の「22」

 

うっひょー。テンションあがりまくってます。

ちょっと雨が降ると、すかさず、雑巾もって、きれいにボディを拭いてあげます。

 

私は、車って、元夫が買ったのか、息子のお古か、親のお古か。

ともかく、自分の名義であっても、自分で買ったことがなかったので、

汚れても、洗車したこともなく、鳥のフンがついていてもおかまいなしで、

すごく雑に、「道具」として、扱っていた。

(今までの車、ごめんね。手放して初めて、ああ、いい車だったなと思った。)

 

あてがわれたものって、なんか、感謝の気持ちもなく、愛着もなく、雑に扱ってしまってた

私の貧相で未熟なこころのなせる業。ごめんよ。

 

自分で、お金の算段して、「ほしい!」と思って、選んだものは、すごーく愛しい。

だから、大切にする。

 

ひねくれていた私のこころが、素直に、無邪気になる。

ああ、こういうことなのか。

と、腑に落ちた(何が腑に落ちたのか、うまく言語化できないが)

娑婆が世知辛いと思っていたのも、私の心にそう映っていただけ。だな。

 

実は、今、入院してる。

今は、年末年始なので外泊していて、だから、ブログを連投などしてみる。

 

私は、アルコール依存症です。

アル中っていうと、仕事しなくて、朝から飲んで、物をこわして、暴力ふるって、借金つくって、人間関係こわす。

家族が困りに困って、病院にほおりこむ。

というイメージがあるけれども、まあ、いろいろなパターンがあるんですねー。

 

私は、自分でおかしいと思って、ネットで調べて、通院できる病院に通ったり、カウンセリング(受けるだけじゃなく、看板あげられるくらい勉強もした。)弟から勧められた祈祷みたいなもんまで、ありとあらゆる努力はしたけど、なんか、お酒を飲んでしまう。

数日は使い物にならなくなる。という生活を続けてきた。

 

とうとう、去年、友人たちに助け出され、精神科の閉鎖病棟に収容された時には、

「もう、社会人として終わった。人間として終わった。」と思った。

やさぐれて、どうでもよくなった。

 

それでも、幸せに生きたいと願う者には、ちゃんと手が差し伸べられるんだと知った。

今までの「~~しなければ生きていけない」生活から切り離された閉鎖病棟で私は健康になり、

退院してから、握りしめいたものを、どんどん手放し、新しい生活の場をつくりはじめた。

 

そこで、私の第二ステージがはじまるはず・・・だった。

私、そんな器用じゃないのねー。ぱっかーんと生まれ変わるはずだった私は、

また、うまく対処できず(私のストレスの95%は家族関係にある)、ストレスが防波堤を超え、

お酒を飲んでしまった。

 

飲んでしまった。飲んでしまった。やってしまった。

人に助けを求める前に、前の病院にすっとんでいった。

それほど飲んでなかったので、検査しても、まったくお酒を飲んでいない人の数値しかでなかったけど、

帰宅して、機嫌よく暮らせるイメージはなかった。

で、また、出戻っています。精神科の閉鎖病棟に。

 

2回目ともなると、もう、怖くないのよ。

他の病院は知らないけれど、そこは立て直したばかりできれいで清潔、スペースも広い。

エリアが区切られていて、私が過ごす場所は、「どこが病気なん?」という人が半分はいる。

閉鎖ではなるけれども、ステップがあがると、主治医に報告して、自由に出入りできる。

今回は、特例で、病棟から仕事にも出かけている(規則上、ダメらしいんだけど)

 

閉鎖の扉を言ったり来たりしながら、感じること。

外の方が、「へん」と違うん?

真面目で、不器用で、ちょっと弱い、うつの人たちを見ながら、すごくまっとうな神経だなーと思う。

私、帰ってこれるんだろうか?

いや、物理的には帰ってきてるけど、この世知辛く思える日常。

私がシフトチェンジできるか、すごく貴重な時間をもらってるように思う。

 

外の「要領よく」「優秀で」「役に立ち」「華やぐオーラがある」「がんばる」のを、勝手に、「成功の価値観」にして、がんばりすぎて、ぶっ壊れてしまった私が、一周回って、逆にぶっ壊して、すっくと立てるか。

 

さー、今年も終わり。

人間終わったと思った去年だったけど、まだ、生きてる。

人の目を気にして、ぶっ壊れてるのを隠してた私が終わっただけだった。

私は、まだ、終わってない。

 

みなさん、よいお年をお迎えください。

 

 

夕べ、20年ぶりくらいに中学時代の友人がうちに遊びにきて、6時間ノンストップしゃべりたおして帰っていった。

彼女は、いろいろ波乱万丈で、前に8年?以上前に電話で話した時は、どんづまりな状況で、なけなしの私の知識をはたいても

打開策は提案できず、「生きろ」として言えなかった。

久しぶりに会った彼女は、再婚して、肌がつやつやで、すごく幸せそうだった。

彼女の「幸せ」の定義の中に、「結婚する。パートナーを見つける」は必須だったそうだ。

 

うーーん。

私は、離婚して15年になるけど、まあ、舞い上がったことも、男の人のことしか考えられなかった時期もあったけど、

今となれば、ハイになってどうかしてたなーと思うくらいで、今は、息子たちが成長して、おひとりさま暮らしになるのが

なんとなく、うきうきわくわくして仕方ない。

今更、結婚? めんどくせー。そんなの関係ねー(古い)って、感じ。

まあ、恋愛感情抜きで、一緒に遊びに行く男友達は欲しいなあとは思うけど。

今年の春にあった、同じ中学生グループの女友達は独身だけど、やはりまた新しい彼ができていて、

彼女らの、その恋愛に積極的な生き方に、私は、何か欠落してんのかな?と思っていたら、

ヘンな夢みた。そして、朝、起きたら、こんなブログ記事。

 

直接関係ないけど、うーむとうなってしまったので、リプログしとくー。


20代の頃に知り合った友人たちと、年に一度の忘年会の季節がやってきた。

おばちゃんたちは忙しいのだ。

3ヵ月前から「みんなで集まれる日」を調整した。

 

取材をして、記事を書き、イラスト書きもいるし、編集もするし、営業もする。

かつての私たちは、そんなグループだった。

今は、それぞれ業種の違う仕事してたり、介護してたりするけれども

「書く」ことは、今でも身近な作業。

 

果たして、今年は、「5年後のゆるーい私の決意表明」というお題が出た。

集まった時にみんなで読む。

5年後も元気で集まるために。

それに続く「いま」を、しっかり味わうために。

 

集めて、冊子の形にするのは、前回と同じく私の担当。

今、集まってきた「決意表明」を読みながら、爆笑してる。

しんみりしてる。

たまにしか会わないから、会わない時間の「そのひと」が見える。

 

そして、私も書いた。

お題をもらった時は、私のテンションだだ下がりで、終活だの、なんだの。

ひとりで生きる捻くれた妄想で満載だった。

 

捻くれるのもエネルギーがいるので、飽きてきて、あほらしくなってきた頃に、

ようやく書いた。

去年、死にかけたもんね。おまけの人生だもの。

助けてもらった命だもん。

ゆるくて、ぽんこつで、愛されてしょうがない、5年後の私に。

 

今日の一歩を、明日も、その次も続けて、たどりつくよ。

機嫌のいい、豊かで、ゆるーい還暦のわたしに。

 

朝起きてから、夜に眠るまで、何回も鏡を見るので

自分の顔は見慣れているんだけど。

 

ここ数年、写真写りが異様に悪くなり、証明写真など恐怖だった。

今夏、どうしても仕事用に人に見せるような写真を撮る必要に迫られて、

午前中はエステ、午後はフルメイクのプロフィール写真と

えらくお金と時間をかけて、自分の見てくれとしっかり向き合ってきた。

 

自分が「こう」と思っている自分と、実際、写真に写った自分があまりにも違う。

違いすぎる!

 

ダレ? コノヒト?

 

プロのメイクスタッフさんと、プロカメラマンに助けてもらいながら、

メガネ3種とメガネなし。服もとっかえながら、何百枚と写真を撮ってもらった。

 

んで。

私が思う、「まあまあ、好感がもてて、OKライン」は、

私が「ありえない」と思うほど、思い切り笑った顔だった(*_*)

私の中では、目が線になって、ぐしゃぐしゃな顔なのだけれども、

いろいろ試して、これが、一番自然で、一番、セルフイメージとしてもちやすい「わたし」

 

んで。

最近は、それほど、カメラにおびえない私がいる。

 

ちなみに、先月、研修会後の懇親会後(笑)、おじさんたちと撮った集合写真。

どまんなかで、知らないおばさんがにこやかに微笑んでた。

 

これが、わたしかぁ・・・・・

思い立って、10年ぶりくらいの知人に会いに行ってきた。

片道4時間ほどかけて。

近鉄アーバンライナーに乗って。

 

NLPのマスタークラスに通っていた頃の勉強仲間。

なぜ、会いたくなったのかしら?

 

落ち着いて、クールビューティなイメージのあった人。

久しぶりにお会いしたら、ど天然なことがわかった。

 

えええっ? そんな人でしたっけ?

話は尽きずに、二人とも時計を見ていなかったので夕方になって

慌てて帰ってきました。

 

遠出なんて、久しぶり。

いい日だった。

ありがとうございました^^。

すーーっと何食わぬ顔をして、日常を送ろうと思っていたのに、

まあ、アノニマス(無名)の独り言として、書いちゃおう。

 

別にお酒が飲みたいわけではないのですが、ついついブログをはしご。

 

で。

これっ わかるわ~(笑)

というのが

「うつ、アルコール依存症とは?治療・治し方、精神病院闘病ブログ」

http://blog.livedoor.jp/a_fuku1112345678999/

 

タイトルだけで引いてしまいますが、依存症のご本人が書いていて私的には秀逸。

著名人にも依存症の人はけっこういて、故中島らもさんは有名ですが、

らもさんに通じる、どうしようもなさと、明るさがある。

(あっ ご家族の方は、それではすみませんね。ごめんなさい。)

 

お酒を飲んでしまい、止まらなくなるその感じが、、

もお

「わかるわ~~」

に、尽きるのです。

 

で、私も、やっぱりアルコール依存症だなあと、今頃また再確認したりする。

どうしたら、依存症が治るのか?というのが

周囲の切実な思いだ思うんですが、

 

依存症って、治らない。

薬なら薬に手をださない。お酒ならお酒を飲まない。

それを続けるだけなんですよねー。症状を出さなくするだけ。

 

どうやって続けていくかは、「本人の強い意志」と言いますが、

私は、それって、「お酒を飲まないという強い意志」では、ないと思う。

 

「いきいき楽しく暮らす!」

という明るい健康いっぱいの自分を生きる「意思」だと思うんです。

 

お酒にばっかりフォーカスするから、

溝に落ちないでおこうと、びくびくしながら歩いて、他の素晴らしい景色に気付かず、

気にしすぎて、おろしたての靴を結局は汚してしまう。

 

懲りずに繰り返して、悪化させる時って、そういう感じじゃないかなー

 

だから、私は、今、「やらなければならないこと」からは全力で逃げる。

苦手な人も、気の乗らないことも、むーーんと思うことからは距離をとる。

 

長年、「ねばならない」で生きてくると、好きなのか、嫌いなのか、

そもそもがわからなくなっているんですが、

わがままと言われても、やりたいと思ったらやる。

やりたくないことはやらない。

 

ただ、あたりまえに幸せでいることが、依存症を遠ざける最善の道だと

そんな風に思います。

 

朝早く仕事に出て、暗くなってから帰ってきて、食事。

休日は、一週間ぶりの掃除。天気のよい日を布団干し。シーツの洗濯。

子どもたちが小さい頃は、入団しているクラブの保護者会で朝早くから応援。

 

そんな毎日は、遠い出来事になって、ぽかんとした時間が多くなったこの頃。

 

過ぎる(心屋仁之助オフィシャルブログ)

https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12313458810.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----kokoro-ya_12313458810

 

そうだなあ。がんばりすぎた日々も。

お酒に溺れた日々も。

過剰な毎日だった。

 

それで傷ついた子どもたち。

迷惑をかけた仕事場。

 

悔やむことも、反省することも、詫びることも。

過ぎると、自己満になる。

 

精神科病棟の入院中も、落ち着いてきたら、朝、写経から一日を始めてた。

今までの経験は、中庸という在り方に、私を導いてくれてたのかなと思う。

 

拭き掃除して、手作りしたアロマスプレーで整えた。

ぼちぼち、第三弾断捨離と冬支度、はじめていこう。

 

 

その記憶は、突然にやってくる。

決して忘れられない事実。

それでも、なかったことにして、気楽に過ごす日々。

だるい体と、寝不足と、冷たい雨のせいだろうか。

今日は、久しぶりにアルコール依存症の相談やブログの記事を、長々と読んでいた。

 

去年のクリスマスイブの日。

こりゃ、もう死ぬな・・・と思いながら、私は、自宅の二階のベッドにいた。

もう一か月近く仕事を休み、ようやく出したSOSに友人たちが来てくれることになっていた。

 

もう、自覚してから15年くらい経つ。

私は、アルコール依存症という病をもっている。

 

アル中は飲んだくれて、仕事をせず、借金をつくって、家族に迷惑をかける。

そんなイメージだけれど、少なくとも、仕事は続けていて、収入はあった。借金はなかった。

周囲に助けられながら、離婚して仕事をしながら子育てをし、

子どもたち三人も成人になった。大学も出て、就職もしていた。

がんばり屋のお母さんの顔の裏で、子どもたちは悲しみ、やがて放置するようになった。

子どもの一人は、あからさまに憎み、離れていった。

 

依存症の家族の手記を読むと、身がすくむ思いと別に、どこかで「わかってないな」と思う。

お酒のこちら側からみると、自分こそが被害者で

誰にもわかってもらえない、生きることそのものが苦しい寂しい自分がいた。

 

・・・・友人たち3人は、私の家に声をかけながら入ってくると、

シーツを替えてくれ、着替えさせてくれ、灯油を買ってきてくれ、

スープを飲ませてくれた。

そして、なんとか動こうとし始めた私をタクシーに乗せ、病院に連れて行ってくれた。

夕方の人気のない病院で言われた。

「ここまで来るのは勇気がいったでしょう。

入院しましょう。」

 

いやいやいや、待って待って待って。

もうすぐ年末年始の休み。一週間、ゆっくりしたら、仕事にも行けるから。。。

 

「とても、無理。三ヵ月は入院が必要です。」

 

ね? 入院しよう?

クリスマスイブの日に、朝から一日中、私につきあわされた友人たちは、

ただ心配そうに、私の決断を辛抱強く待ってくれた。

 

からだも限界だった。早く、横になりたかった。

 

そうして、今の私が、ある。

「ねばならない」を手放しはじめた 記念すべき一歩目だった。

 

昨日は一日雨でした。

今日は、昼過ぎから日が差してきて、「泣いた子が笑った」ような日です。

 

毎月初旬にある仕事をして、郵便局に投函しに行って、買い物して帰る。

夕方の仕事まで少し間があるので、虫や鳥や、遠くを走る車の音を聞きながら

静かに過ごしています。

 

シングルで息子三人育てていて、仕事して、親に手を貸して・・・

毎日が暴風雨。「わたし、がんばってる!!」ってのを感じながら、

身体を固くして、目の前のやらなければならないことに集中して、

集中が途切れては、ぶっ倒れて、それでもまた、起き上がって・・・

 

むーーーん

「私がこれだけやってるのに!!!」って、被害者意識の塊やったかなー。

 

日々の暮らしに余白ができた今、とても幸せな気分になることもあるし、

余白に「負の感情」が満ち満ちて、どこかへ行ってしまいたくなる。

そのあたりのものをぶっ壊したくなる(物騒ですー)

 

ここのところ、数回、これを繰り返して、今、また考えるのも面倒になり。

ちょっと疲れてきたので、来週は、とても久しぶりの知人に会いに行き、

リンパマッサージを受けて、いろいろ話してこようと思ってます。

 

いつもの違う景色。いつもと違う空気に身も心も置いてみたい。

旅にでるエネルギーがでないけれど、日帰りくらいなら足を伸ばせるくらいには

力が戻ってきた模様です。