先生、優しいからね〜
と言われたことがある先生たちや、学級崩壊のクラスにお子さんを通わせている保護者の方に読んでいただきたい記事です。
まず第一にお伝えしたいのは、学級崩壊、もしくは、それに近い状態になっているのは、
優しい先生のせいではないです。
親のせいでもない。
学級崩壊という「仕組み」になっている。この考え方は、
Niklas Luhmann(1927–1998)
による社会システム理論 (物事をバラバラの部分の集まりとしてではなく、相互に影響し合う「全体(システム)」として捉え、その共通する仕組みや法則を理解しようとする考え方)
によるものです。
以下は、システム理論を使った考え方で学級崩壊を私なりに、捉えたものです。
▶️学級崩壊の仕組みとは
この子を指導して変えなきゃ、周りの子が可哀想。
でも、変わらない。
私のやり方がまずいのかしら?
私が力不足なのかしら?
そんな悩みを抱えるのは、真面目で一生懸命な先生によくあることです。
先生が子どもを注意する
子どもが言うことを聞かない
さらに注意する
課題のある子ども、と捉える
(自分のやり方がまずいと先生が自分を責める)
このように、個人の性格や能力に原因を求めると、原因論的な考え方になりがちです。
その考え方で何かが変化すれば良いのですが、実は逆にもっと学級崩壊や問題行動といった課題を強化させるのでは?と私はずっと思っていました。
そこで出会ったのがシステム理論でした。
家庭もそうですが、学校には様々な教師、子どもがいて、一つ一つの具体的事象に注目すると、非常に複雑に思えてきます。
そこでおこる学級崩壊は、その相互作用によって生じるのであり、誰かが悪いから、起こるものではないです。
学級崩壊というのは、
その複雑な過去の相互作用に余白がなくなり、ある一定のパターンが固定化された時に起こります。
つまり、互いに、
あのクラスの担任は「学級崩壊」させた
あの子は「問題児」である
あの先生は「優しい」
あの先生は「力がある」
そういったラベリングが関係性やパターンを固定化させ、余白を奪っていることに目を向けていきます。
その先生の力不足で学級崩壊が起きているのではなく、
全く身動きの取れない仕組みになってしまっただけです。全体をシステムとして考えていくと、一見統制の取れていそうなクラスにも課題があるはずです。
ではどうしたら良いか、ご自身のパターンに合わせて一緒に考えてみてください。私がまず大切にしたいと思うのは、次のことです。
▶️仕組みに気づく
繰り返しになりますが、学級崩壊は一定のシステムが固定化されているだけで、先生のせいではないです。
そこに気づきます。それだけで、少し楽になりませんか。
では、その固まってしまったシステム中で何を変化させたら良いのか。
それは「ラベル」と紐帯(繋がり)です。
例えば、ある子どもが友だちをいじめる。それが繰り返されると
「いじめっ子」「いじめられる子」というラベルが貼られます。
それ自体はごく普通のことだと思います。
そんなことないわ、私はフラットに見れるのよ。いじめっ子だって原因があってそうなるのよ、
と思う人も、ふとした人間関係で、この人は「こんな人」私は「こんな人」と考えていないか思い返してみてください。同じことです。(私は基本的にフラットに見れると言う人は好きではないです。絶対嘘だと思うので気持ち悪いです。)
人の思考はもちろん私も含めて偏っているものなのです。だから、その思考の偏りに気づくことも大切です。
「偏り」自体が悪いと言っているのではなく、偏りが人生を彩り、その人の才能となることももちろんたくさんあります。
偏りがあってラベリングしてしまう、そういうものである、と捉えらてください。
そのラベリングがどういう「言葉」なのか、まず気づくことからスタートします。気付いたら、ラベルを剥がしていきます。
どうやって?と思われるかもしれませんが、気づくと違った視点から事象をみることができるようになるので、剥がすことができるようになります。
問題行動を起こす子どもと先生は嫌でも強い紐帯で繋がれており、その関係性は固定化されていますが、先生自身の視点が変わると関係性が動いていきます。
一方で「やめる」と決めるのは、
相手を変えようと言動することです。
▶️相手を変えようとしない
システムは全体の相互作用によって構築されるものです。
今の学級崩壊は
相手を変えようと働きかけたことで相互作用を固定化させてしまう、問題児と怒る先生という、強い紐帯で繋がれてしまう、
ことも一つの関係性として要因にあげられます。何よりその思考は、自分自身を苦しめます。
それを考えると、
自分の指導力不足だから子どもたちを変化させられない、と考え続けることはやめよう、
そう思いませんか?これは家庭でも同じですよね。(自分が悪いから子どもが悪くなる、と考えないことです。)
相互作用的に変化していくと捉えれば、
何かしらを少しずつズラしていけば、結果として変わっていく。
人を変えようとしなくても変わっていくので、大丈夫なのです。
そんなことで変わるのか、と思うかもしれませんが、そこは変わると信じます。
信じて変わらなかったら?と思う不安もあっても良いです。一端信じてみませんか。信じないと、変化した時にその小さな変化を見逃してしまいます。
変わらないかもしれない、と未来を不安に思い、未来の奴隷となるのではなく、
今この瞬間に何を考え、何を捉え、どうしていくのか、今を生きる方がよほど大切だと私は思っています。
それでも辛い時もあるかもしれませんが。
▶️元気がない時は
元気がないのであれば休みます。元気がない、のいうのは休めと言うサインです。休むのは怖い、迷惑だ、ダメ人間と思われる、と思うかもしれませんが、そんなことはないです。
休むと余白ができます。
その余白こそ、次への第一歩に繋がります。
余白ができると、今回ご紹介したような、システム理論や例えばアドラーの目的論を勉強してみようかな?
と思えたり、
ふと、あれ、これやってみようか?
ということが思い浮かびやすくなります。
一見全く関係のないことでもやってみると後々、先生の教育に結びついていくものだと私は思います。
楽になることは悪ではないですし、変化の第一歩です。
「楽にならないことを選択する」ことは、実は逆に、
自分が変わらなくて良い言い訳にしている、
気付かなければならないことに気付かずにいて良い言い訳にしている、
のではないかな?と思います。
少し話は変わってしまいましたが、
今回は、システム論を通して学級崩壊が先生のせいではないこと、をお伝することで、読んだ方が、少しでも楽になり、自分の人生を自分の手でデザインして生きていくための、ほんの少しのきっかけとしていただけたらな、と願っています。