3月初め。

娘の公立高校の合格発表がありました。
私の住む地域では、私立よりも公立が人気です。

娘が挑んだのは、この地域で一番の難関校。
中学の先生からは「厳しいかもしれない」と言われていましたが、親子で何度も話し合い、彼女自身の意志で「挑戦」を選びました。


それからの日々、苦しそうに机に向かう娘の姿を見ては、「私にできることは何だろう?」と自問自答する毎日。


英語を教えてたり、少しでも健康を支えたいと体質改善の講座を受けてみたり……。
(その講座の先生との相性が合わず、私の方がメンタルダウンしてしまうという、情けないおまけ付きでしたが。笑)


母として、せめて成功体験を積ませたい、自信をつけて欲しい。

そう願いながら迎えた結果は、【不合格】でした。


職場では、同じ学校を受験した同僚のお子さんが合格していました。気を遣って、私が聞くまで何も言わずにいてくれた彼女。


「どうでしたか?」

と私が尋ねると、彼女は涙を流して「合格しました。きっと、ギリギリで引っかかっただけです」と答えてくれました。


その瞬間、私の心に黒い感情がムクムクと湧き上がったのです。

「じゃあ、引っかかりもしない娘は何なの?」
「バカにされている。うちはダメだったから、気を遣われているんだ」


周りの人たちの「合格したから良いわけじゃないよ」「人生その方が面白いよ」という励ましの言葉さえ、心から受け入れらない自分がいました。


なぜ、私はこんなに「気を遣われること」が嫌なんだろう?


その違和感の正体を探究してみた時、ハッと気づきました。

「不合格」を恥ずかしいことだと思い、

誰よりも「不合格」をバカにしていたのは、他でもない私自身だったのだと。



娘の努力を一番近くで見ていたはずなのに、私はいつの間にか、世間体や「合格」という結果に、自分の心の主導権を渡してしまっていたのです。

「この考えは、もうやめよう」

そう決めて、心の中で大きく取り消し線-を引きました。

家に帰り、娘の顔を見ると涙が溢れました。
「よく頑張ったね」と、心から言えました。

合格発表に付き添ってくれた私の母が、後で教えてくれました。

「あの時、あの子は顔面蒼白だったのよ。でもね、ちゃんと自分で立ち直ったから」

ふと見ると、パジャマ姿の娘の髪が、きれいに整えられていました。

後で帰宅した夫が「あれ、パーマかけたの?」と聞くと、娘は少し照れくさそうに笑って、

「違うよ。合格発表に行くつもりだったからさ、整えてたんだよ」
(今はウェブ発表なので、不合格なら会場に行く必要はありません)

その言葉を聞いて、私は再び娘が愛おしくてたまらなくなりました。


今日も娘と話している時に、来たくてくる人もいるだろうし、「こんな高校、来たくなかった」と思う人もいる、でも、今いる場所でどうするか、が大切だよね、クラスの皆んなで乗り越えればいいよ!と話していると、

私もね、「こんな学校行きたくない、って一瞬思ったよ」、とポツリと漏らしていました。

私だって、同じ気持ちになることがあります。でも、彼女はもう前を向いています。

「行きたい大学に行くことが大切だから」と。

外側に正解を求めるのではなく、自分の心で感じ、探究し、自分らしく人生を歩んでほしい。

どんな結果であっても、あなたが頑張ってきた事実は消えないから。

答えはすぐに出なくてもいい。
これからも、娘と息子も一緒に、そしてもう1人の我が子、猫の福と一緒に、ゆっくりと考え続けていこうと思います。