四男 過去、現在メモ 

あくまで母から視点、偏りあり



中学時代〜高校時代(現在)


中学生時代

入学にあたり、

まず、動き出し当時、まだ情緒支援級がなかった地元の中学でいいのか、越境して学区外の支援級が確立されている中学にするのか、たしか小4・5あたりからもう考え動き出していて、実際に隣の中学の支援級に見学しにいったり、地元の中学の校長先生にも面会したり

結局は、地元の中学の支援級籍へ

小6の2学期あたりから中学に細かな相談や聞き取りをしてもらったりして(この時点で中学卒業後の進路相談も軽くした)、最終小6の1月だったか3月にも席を設けてもらって

本人の状況・特性情報(発達検査の結果等も)を職員全員に共有してほしいとお願いした 

発達検査の結果等は機密情報になるのは理解しているが、それを職員全員に開示してもらわねば学校生活が難しい旨も伝えた

でも…蓋をあけてみれば全然共有されていなく

上の子たちでめちゃくちゃお世話になっていた先生が無共有のことを教えてくれた

あーやばい、あのときのショック悔しさ苦しさ虚しさ悲しさがバックしてきた

はっきりいえば、支援級・情緒に関して知識のある先生がいなかった

悪いけど、知識ありますといっていた先生すら知識なかったよ…

6年時に聞き取りをしてくれた先生達はあの時、大丈夫任せてくださいと言ってたのに、共有もしてくれるとも言ったのに

共有されていないので余計、本人の特性や状況に先生方もただただ動揺・困惑、本人への指導も統一されない

地獄でしかない

(やってもらう側のくせに本当にすみません、でもこちらも必死の思いで伝えていたしやってきたしやっていたのです)

本人は荒れに荒れ、もう無茶苦茶

こうなってしまうとこちらも大パニック

支援がまったく機能しない中、支援級を受け持ってくれた担任の先生(過去、支援級に関わった経験無)も必死にこちらサイドと試行錯誤してくれた

少しの救いだったのが、小学生時代の本人を知っている補助員さんかついてくれたこと、この方がいなかったら、暗黒中1時代を学校で過ごせなかった

中学入学にあたり、新しいことばかりになる不安から、医師にあらゆる新しいことに対してどうしたほうがいいか仰いでいたけれど、入学以降もトラブるたび意見をききまくるし、益々関連本も漁りまくる

後になって、この時良かれと思って本人に向けやったことが、実は逆効果だったものもあった

本人には本当に申し訳なかった

ごめんなさい

たらればになるけれど、支援級が確立されていた別の中学に入学していればこんなことにならなかったんじゃないかとか、今更のことを未だにグルグル考える

情報共有に関しても、もっと早い段階で無共有なことに気づけていればとか、後悔の念に駆られる

中2から支援級担任が変更、発達障害や支援教育に対してめちゃめちゃ踏み込んで勉強してくれる先生になった

ここから少しずつ本人の暗黒状態が回復していく

本人の特性理解、行動観察、課題提起、解決法模索、指導提案

他の先生方にも状況・指導共有をうまくしてくれたり

熱意がめちゃくちゃすごく、こちらの私のメンタルまできにかけてくれる

あ、今後こういう先生が支援教育を担っていってくれるのであれば未来も少しは開けるのかなと思った

一進一退のときも後退したときも、共有して一緒に悩んでくれた

いまの本人があるのは、この暗黒時代のこの先生の御尽力あってのものだと思う

感謝でしかない

勉強面はすでに大きく遅れをとっていたので、本人の学力やペースに合わせて

視覚過敏だったので教室も工夫してくれたり

制限有りでタブレットも使用させてもらえるように

もう、普通級との学力の差が云々言っている状況は遥か昔に放棄してきたので(せざるをえなかった)、とにかくまずは本人の情緒面の安定を第一に試行錯誤していった中2・3だった

そんな中で、担当医からは難しいとずっと言われ続けていた療育手帳の取得を、進学やその先の未来にあたり取得したほうが選択肢が増えると考え行動

結果は取得できた

取得できたのはよかったのだけれど、ただ…、語弊があるけれど、検査結果の内容が思った以上にひどくて低くて私のメンタルがやらたのは……、…うん、確かに、確実にやられた



高校時代(現在)

高校進学にあたり

一般的な高校はまず無理(実際に一応見学・相談にいったところもある)、それは学力的にも情緒的にも

そもそも、今はわからないけれど、当時県内高校で通級指導や情緒支援に関して実施しているところが調べた限りではなかった

まず、支援学校を視野に

県内の支援学校を調べたり見学に行ったり(支援学校と一言でいっても、その特色や内容はさまざま)

通信制高校も考え始め、ただ通信オンリーだと外部との交流が遮断されてしまうのが恐ろしかったので、通学可のところを調べたり、障害有りでも支援してくれるところ

実際に本人と見学に行ったり話を聞いたりした上で、本人が通えると思った距離の範疇で、学校の雰囲気や特色が納得いったところに決めた

『最終選択・判断は必ず【本人】に委ねる』、これ必須、絶対に

結局、ちょっと特殊な高校を選択

かなり少数、通信制だが通学可、情緒支援有り、単位取得も特殊

ここでも中学支援級担任の先生にかなり御尽力頂き、

合格後入学までの間に一緒に高校に出向いてくれて、本人に関する資料だったりも作成持参してくれて

しかもまたしても、高校側に私のメンタルも気にかけてあげてくださいとお願いまでしてくれ

至れり尽くせりよ…ホント神なの?

入学まで通学経路も何回も練習した

すでにこの頃コロナ禍に突入していて、入学式もリモートだったし、しばらく家でリモート+通信学習

上の子たちもリモート講義になっていたこともあり、面倒をみてくれていた

通学できるようになってからは、電車で寝過ごしちゃうこともよくあったけれど、その場合は学校に連絡入れるルールに

新しいことに順応・適応することだったりコミュニケーションがかなり苦手なので、新生活に慣れるまで時間がかかった

自分の興味のあることを教科と関連付けて調べたりレポートを書いたりできるというシステムもあり、これは本人には合っていたと思う 

年に何度か課外学習もあったり、体験系のこともできてよかった

提出物やレポートものの進捗状況把握・管理は、やっ ぱりちょっと難しかった

コミュニケーションの苦手さも、この3年間ずっと課題だった

本人の情緒面は、たまにチックが発症したりはあったが、それほど大きく上下することはなかったような気がする



つづく…

たぶん