清々しい朝である。
3月に入って東京に雪が降りました。
雨に変わり大きな影響が出なくて一安心しましたけど、メディアで報道されている豪雪地帯の事を思うと東京はホントありがたい事です。
さて、大阪万博がいよいよ来月から開催されます。
実は私・・・1970年の大阪万博(EXPO’70)の開催期間中「サンフランシスコ館(パビリオン)」でアルバイトをしていました。
ここは会場の一番端にあって、静かで落ち着いたとても落ち着いた場所でしたね。
当時の白黒写真が残ってます。
こんな感じのところです。美味しい料理も楽しめました。
場内を現地から持ち込んだ名物の「サンフランシスコ・ケーブルカー」を内燃駆動にして走ってました。
この日は「大阪の日」でしたから華やかにして飾っていました。
手前の車は当時愛称で「クジラ・クラウン」と呼ばれたステーション・ワゴンでした。
「大阪の日」のイベント(式典)があるのでスタッフ(当時はコンパニオンって呼んでました)が並んでます。
懐かしい顔ばかり。
皆んな仲良しでしたね。
スタッフ専用の移動電気自動車。
彼女たちは「アーモンド・ガール」って呼ばれてました。サンフランシスコ名物はワインとアーモンド。沢山食べたもんです。
さて、当時僕はアイスクリームの販売担当でした。
ところが1970年の日本で販売されるアイスクリームは乳製品の自由化が無くて乳脂肪が低くくてあまり美味しいモノでは無かったんです。
しかし万博開催期間中、サンフランシスコのアイスクリームが販売されました。
その名も「ゴールデン・ステイト」と言うブランドで、ななんと乳脂肪13%と言う、泣く子も黙ると言う旨さなんです。
ですから皆さんその味に驚きリピート率がとても高いアイスクリームでした。
で、このアイスクリームって当時何処の会社が販売していたかと言うと「ジャパンデアリーズ」と言って今やあずきバーで有名な「井村屋」さんの子会社でした。
ほぼ毎日売り場に顔を出してくれたのは営業マンの浅田さんと言う方でした。ですから売り場のスタッフと仲良くなって浅田さんのご自宅にまで遊びに行く仲でした。
さて、このあたりから話が佳境に入っていきます。
半年間の開催期間も終わって50年後のある日の事です。
テレビで「カンブリア宮殿」と言う番組を観ておりました。
MCの男性が「今日のお客様は井村屋の会長さんをお招きしています」と言う様な事が耳に入って来ました。数秒後その会長がアップで映ると同時にMCから「井村屋の浅田会長です」と紹介がありました。
それを聞いて画面に映る会長のお顔も見て思った事は「あぁ、懐かしいな・・・当時世話になった浅田さんと同じ名前なんだ・・・」くらいのもんでした。
お歳を重ねられお顔も変わっていますしね (ま、これはお互い様です)。
そんな感じで内容を黙って聞いていると、会長からのフレーズに「当時万博で・・・」と言うお言葉が飛び出して僕はその場であまりの驚きにのけ反りました!!
「こ、この会長って!当時の浅田さん?!」いやはや驚いた事なんの、近年に無い驚きぶりでしたね。
大変失礼ながら浅田さんはその後レディーボーデンやサーティワン、ハーゲンダッツ等市場に出て来て、てっきり会社もお辞めになっているんだとばかり・・・
もし残っておられても部長クラス、よもや社長を越えて会長になっておられたなんて夢にも思いませんでしたよ。(失礼いたしました !)
万博と言えば一番の思い出話であり、その後のとても嬉しい驚きと出来事でした。
浅田会長、ありがとうございます。
ps,
因みに現在は当時一緒にご出演された中島さんが会長になっていらっしゃいます。
お世話になっております。