本日は娘の葬儀に出向いてくれる住職様へ挨拶に行ってきました。


久々に公共機関を使う。1ヶ月ぶりくらいかな?

付き添いを代わる時以来……そのまま付き添いして、介護タクシーで帰ってきて、自宅で看取って。バスも電車も使わなかったからなー



いつもの出勤経路に知らない店舗ができてる。

娘が亡くなって家族は時間が止まったようだけど世間の時間は動いてる。


時間が悲しみを癒す……今日言われたこと。

それは癒えているのだろうか?身近に感じられなくなり徐々に忘れていくだけなのでは?

火葬後の納骨について、四十九日での納骨が一般的らしいけど、とてもでは無いが四十九日の納骨は…………嫌だなぁ…………離れたくないよ。

骨になったとしても…………近くにいたいなぁ。

どこかで区切りをつけないと親御さんも切り替えられない。との言葉。

そう言われてもなぁ。確かにいつかは納骨しなきゃいけないのは頭の中では分かってるんだよ。

でもまだ、切り替えられないなぁ。

いつかは切り替えられるのかな?もし、次の子を授かることができたとしても長女は一人しかいないんだよ……

変わりはいないんだよ…………


納骨の時期はきっと、何か、大きなきっかけがあるはず……何もないと判断が難しいな。でも、まだしばらくは一緒にいよう。

骨壷も袋も可愛いのを見つけたから。



外出して久々に外食した。

美味しいんだけど……家族連れの雰囲気が辛い。

私達もこんな未来を描いていたから……

その時は気付かなかったけど何気ない日常はとても大切なもの。代わりがきかないとても儚いもの。


今になって後悔しているのは

もっと普段からたくさん写真、動画を撮ってあげていればよかった。

本とか何度も呼んで呼んでと来たのを面倒くさがらず何回も読んであげればよかった。

コロナ禍だからと言わず、もう少し一緒に遠出させてあげればよかった。

睡眠時間を削ってでももっと向き合ってあげればよかった。


あー、いつもの遊びの風景なんか何時でも撮れると思って写真をあんまり撮らなかったあの時の自分を殴りたい……


なんだかんだで葬儀の準備は淡々と進んでいく。

徐々に戻っていく日常……娘だけが居ない日常。

私達にとってその日常に価値があるのか分からないけど……生きていくためには仕事をして、世間の流れに戻らなくてはいけないんだ…………


葬儀までの時間は進んでいく。