藤堂高刑名言 | TMMB

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たとへ万石のお取立てこうむろうとも、五助を裏切るわけにはまいりませぬ。

藤堂高刑(たかのり)は豊臣秀吉の家臣藤堂高虎の甥。関ヶ原の合戦では東軍に加わり、西軍の大谷吉継軍と戦う。その大谷軍に東軍に寝返った小早川秀秋の大軍が襲いかかる。藤堂軍に追い詰められた大谷軍は壊滅状態。大谷吉継は重臣の湯浅五助に介錯させる。五助は病の面相の主君の首を人前にさらされないように地面に埋めた。
これを見ていたのが藤堂高刑。五助は勇猛な武将だったので高刑は当然五助の首を狙う。すると五助は一騎討ちの前に、
『どうしても主君の首を人に見られたくはない。首を埋めた場所の秘密を守ってほしい』と高刑に懇願する。
『武士の約束、決して口外はせぬ。』と高刑が誓うと五助は高刑の槍に討たれる。
五助の首を手柄に持ち帰った高刑に家康と高虎が、『大谷吉継の首はどこだ』と尋ねる。
高刑は、『五助ほどの武将が自分の首を差し出してまで守った主君の首。約束を違えることはできない』と主張!
高虎の甥とはいえ、高刑は高虎のただの属将なので家康の命に背けば自分の命も危ない。しかし五助との秘密を守ろうとした。
家康はこの姿勢に心を打たれ高刑に槍を賜ったと言われています。