徳川家康名言 | TMMB

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人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。

三河の弱小岡崎城主の松平家に生まれた家康は、駿河の今川、尾張の織田の領土に挟まれていたため、竹千代と呼ばれた幼少の頃から人質生活をおくっていた。家康は六歳で今川家へ人質に送られる途中織田家へ連れ去られ尾張で人質生活を送る。その二年後今川家の人質としてまた駿河へ送られる。
駿河での人質生活で軍師太原雪斎から教育を受け、また武将としての初陣も経験し、元服して今川一門の武将の娘・築山殿と結婚。松平元信と名を改め、それから何回か名を改めて最後に徳川家康となる。
そんな家康に機会が訪れる!桶狭間の戦いで今川義元が急死。家康は駿河へ戻らず、今川方に占拠されて空城になっていた岡崎城に入る。家康はやっと人質生活から戻ることができました。
家康は今川を討った織田信長と同盟を結ぶ。
しかし家康の苦労は絶えない。武田軍との戦で惨敗も経験し、武田と築山殿との内通、長男の処罰、苦難の連続。信長急死の弔い合戦で秀吉に先を越され天下を奪われる。それでも耐えて待ち、秀吉没後も焦らず機が熟すまで耐える。
こうした経験が、
『人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし』
1615年大坂夏の陣で豊臣家を滅亡させた当時家康74歳。晩年に発した家康の言葉。