前回も書いたことがあると思う。
幼少の頃、実家の下に寺があった。
俺はその時、非常に悩んでいる時期だった。
自分の思う方向性で人生を突き詰めていこうか、保険を残すような安定した人生をやってこうか…
何に手をつけてもそこそこ器用なのでそこそこ出来てしまい、全てがしっくりしない、そんな状況ばかりで、かなりのぐりぐりだった。
当時は映画制作の授業に気合いを入れていた。映画科の先生には、本当に気合いいれてやる気があるなら凄い人を紹介してやると言われたけど、映画かー…という。大分画面越しのようなフワフワした感覚で、出した結論は、それだけに全人生捧げられる程の気持ちはないなということだった。全て捨てていける覚悟もないし、
気分的にまさしく安部公房の赤い繭と同じであった。
私の家が無い、近所の人に、もしかしてこの家は私
の家
ではないでしょうかと聞いた。
あけられた人はものすごくあやしんでいる。
最終的に行き場はなく、何故か主人公はおおきな繭になることを選択した
、俺は当時よくこういう気持ちになった。
そういう考えが特に激しかったころに、出会ったのだ。
実家のちょい下の寺でパフォーマンスイベントがやっていた。爆音ノイズとパフォーマンス!
山本さんは、そこに褌一丁で、じゃりを体に浴びていた。
無論、お客さんはおじいさんおばあさんだからけだったのだが、案外逃げずに見ていた。
すげー、こんな世界があるんだ!と衝撃を受けた。一緒にいた母もギリヤーク尼ヶ崎!といいながら感動していた。
その日俺は固定観念の馬鹿馬鹿しさをしったのだ。
そして、今日、なんと、10年の時日を経て、その山本さんと対バンなのである。
感慨深さがすさまじい。
本日、また俺は新しい情熱を見つけ出すだろう。
666もフロウジも宜しく御願いします。

