「大好きなお母さんに喜んでほしい」
そう思って何かをする。
しかし当の母の反応が、自分の予想とは違っていてガッカリなんてことが起こる。
その度に悲しくなったり、腹が立ったり。
でもあの時私がガッカリした母の反応は、本当に私をガッカリさせるようなものだったんだろうか?
こんにちは
雨の神奈川からLeeです😊
次の日曜は母の日ですね🌹
私はコロナで熊本に帰れなくなったので、母にこちらの特産品を送ることにしました。
遠く離れたせいもあるのでしょうか。
私は母から激アツの感謝が返ってくることを根拠なく期待しておりました(既にここに苦悩の芽🌱
2日前に発送、本日あちらに到着し、母から電話がありました。
母から「着いたよ!ありがとう😆😆😆」という溢れんばかりの感謝の電話を予期していた私
母は見事に私の期待を裏切り、「通常モード」で話し出しました(アレレ?🤣
そこからは妄想が爆裂(お恥ずかしい限りです😳
「えらい早く着いたね」と言う母の言葉が
「もっと母の日が近い方がよかった」と言っているように思え、
「どこで作られよっと?」が「コロナ感染が大きい地域からの送付物って大丈夫?」に聞こえる。
もうね、ひどいでしょ?🤷
妄想にせよ、何にせよ、すべて「私が」思っていることの自己紹介
こうやって、何十年も私は母を「私の愛情が届かない人」にして、同時に自分のことも「どんなに愛しているかをかわってもらえない可哀想な娘」にしていたのね。
以前は自己憐憫で終ったり、母に怒りをぶつけたり、「何でいつもこうなんだ」と悲しんだり、母に当たった罪悪感に苛まれたりで苦しかった。
今もそのパターンからは完全に抜け出していないのはご覧の通りです。
けれど、これまでと違うのは今は気づいたら修正できるってこと。
だって私はもう大人。
立派な一人の大人の女性!
母に「お母さんの発言を私はこう思っちゃった」と情けない自分をさらけ出して、母と一緒に笑えるんだ。
母に言わせると「あんたが勝手にあぎゃん言うけん、お母さんはもう何も言わんだった」そうです。
母と私の狂想曲
いつか二人で美しいハーモニーを奏でる日まで
泣いて笑って過ごしていこう。
一緒にお話ししませんか?
🔻残1日🔻
あなたのお話し聞かせてね
日時:5/8の午前11時から(14時からに変更も可能です)
時間:40分間
料金:1,000円(寄付をお願いします)
寄付先:認定NPO法人とら太の会
お申し込みはこちら(ご希望の日にちを第3希望までお知らせください)
同じく残1日
ZOOMでLeeの旅を応援する
日時:5/8の14時から40分間(午前11時開始に変更もできます)
料金:無料
条件:ZOOMが使える方
(やり方がわからない方はお問い合わせください)
応援してくださった方には、禅タロット「今のあなたへのメッセージ」1枚引きをプレゼントします。
お申し込みはこちら(ご希望の日にちを第3希望までお知らせください)
みなさまからのお申し込み、お待ちしています。