台風一過と言ってもいい位に晴れている熊本。
毎日蒸し暑く、昼間のエアコンは欠かせません。
仕事から戻ってうたた寝してたら、心配観音さまからの電話で目覚めた。
あらやだ、もうこんな時間
(ちなみに午後4時だった。後者あるある?)
さて今日は、この前「夏休みの自由研究」にするって言っていたことをシバトモさんの記事をリブログすることで解決しようとしているLeeです
私が職場のある特定の人(男性)をなぜか素直に「素晴らしい」と思えない件。
前の記事には書いてなかったけどその人を見下していた件。
シバトモさんのブログから引用⬇
人を見下すのと
人を尊敬するのって
自己表現の出方が真逆なだけで
心のしくみから見ると根底は同じ。
うらやましい
ここが、素直に出たものが尊敬。
ここが、拗ねて出たものが見下し。
尊敬に出る時は、
「こりゃ敵わんな」と白ハタ振ってる
時だったりしますが、
それ以上に自分もそのうらやましい
部分を目指す時なんかにも抱く感覚。
尊敬は、
相手のうらやましいと思う部分を
肯定していないとできません。
一方、
見下しに出る時は、
相手に反応する部分を否定してる時。
「私はそうならないようにこんだけ頑張ってんのに!」
と、自分を見失って周りに合わせてると
よく起こる感覚です。
ホントはうらやましいのに
×をつけて抑えてるから、
それをぬけしゃーしゃーと
やってのける相手にムカつくのです。
本当は尊敬に値するくらいうらやましいのに。
(΄◉◞౪◟◉`)笑
そして、
自分の頑張りが否定されたように
感じてしまうので、見下す事で
自分は正しいと証明しようとしてるのね。
尊敬にしろ見下しにしろ、人に反応する・意識がいくって事は『同類』です。
引用おわり
私が反応して見下しているあの人がやっていることで、私が否定していること、そして自分がそうならないように頑張っていること、それは
「自慢」
ですね
あの人が私に、私ができないことを成功させて、それを嬉しそうに私にわざわざ(と私には思える)報告してくる。
私にはそれが「自慢」に見える聞こえる。
あの人はそういうつもりじゃないのかも。
むしろ私に「すごいねー」って言って欲しいだけなのかも。
「すごいねー」言うからいつも来るのかも。
いや、「すごいねー」って言って欲しいのは、むしろ私?
クエスチョンマーク付けてみました(^_-)
はい、誉められたいのはこの私です
こんな、表に出したくない私(/-\*)
そんなこと思う私もいるよねーって○つけることから始めよう。
先月からシバトモさんのブログ読み始めた。たぶん例の「あなたへのおすすめ」からふらりと立ち寄ってハマった
あーそこツボるわーっていう記事が上がってくる。しかも解説が明快な上にオモロイ(←ここハマる)