今週、両親の施設を探していた頃のことを、あらためて思い出していました。
母の施設を探し始めた時、最初に考えたのは、
「どこが一番いい施設なんだろう?」
ではありませんでした。
まずは、お金でした。
親の年金の範囲で、この先も暮らしていけるだろうか。
施設での生活が何年続くかは分かりません。
無理をして高い施設に入っても、続かなければ困ります。
そこで特養とグループホームを中心に調べました。
地域包括支援センターやケアマネジャーさんにもいろいろ聞きました。
母の状態を考えていくと、グループホームは難しそうでした。
そうなると、私たちの場合は特養。
たくさんの施設から自由に選んだというより、
条件を一つずつ考えたら、残ったのが特養だった。
そんな感じだったと思います。
そして、ようやく母の施設が決まりました。
ホッとしたのも束の間。
大阪で入院していた父も退院することになりました。
父も療養が必要な状態でした。
弟夫婦が退院後の施設を探してくれていたのですが、母が入る施設から、
「お父様も一緒に入居できます」
と言っていただきました。
これは助かる。
二人とも同じ施設で見てもらえる。
「これで両親の生活場所が決まった」
私はそう思いました。
ところが、父は違っていました。
父も施設へ入ることは、弟から伝わっていると思っていたんです。
でも実際に施設へ入った父から出てきたのは、
「何でこんな所へ入れるんや」
という言葉でした。
あの時は悲しかったですね。
そして、悔しかった。
母の施設を探すために何カ所も見て回り、「ここなら」と思える特養を見つけました。
さらに父まで一緒に受け入れてもらえることになった。
私たちなりに、両親のこれからを考えて動いたつもりでした。
でも父は、
「横浜へ行けば兄貴が面倒を見てくれる」
と思っていたようです。
私たち夫婦と暮らす。
あるいは、近くに家を用意してもらう。
父が思い描いていた横浜での生活は、私たちが考えていたものとは違っていました。
弟にも確認しました。
「ちゃんと伝えたのに」
と言います。
きっと本当に伝えていたのでしょう。
私も「父は分かっている」と思い込んでいました。
でも、
「伝えた」と「伝わった」は違うんですよね。
今になって思います。
だからといって、もっと説明していれば全部うまくいったのかというと、それも分かりません。
父が自宅へ戻って母と二人で暮らすのは、現実的には難しい状態でした。
施設に入ってもらうという判断そのものを、私は今でも間違っていたとは思っていません。
ただ、家族にとって「これで大丈夫」と思ったことが、本人にとっても同じとは限らない。
介護をしていると、こんなことがあるんだなと思いました。
施設を探している時は、
料金はどうか。
状態に合っているか。
通いやすいか。
空きはあるか。
そんなことばかり考えていました。
でも、施設が決まれば終わりではありませんでした。
むしろ私たちの場合、そこから父との新しい問題が始まりました。
親の介護って、
「これが正解だった」
と簡単には言えないことが多いですね。
家族には家族の事情がある。
親には親の思いがある。
その両方がいつも同じ方向を向くとは限らない。
今振り返ると、それも介護の難しさの一つだったのかなと思います。
もし親の施設を考えることになったら、
「親にとって一番いいこと」と「家族が現実的にできること」
その二つが違った時、皆さんならどう考えるでしょうか。