出産して、もうすぐ3か月を迎えようとしています。
子育てもリズムが掴めてきて、時間ができた時に、振り返りながらブログに残していこうと思います。
 
振り返ってみると・・・妊娠初期から、出産までの間 妊娠初期の出血から始まり、出血に終わったなーと。
 
リンパ浮腫は、妊娠後期には 安静のため?太りすぎた(結局10~11キロプラス)せいもあり、むくみもひどくなって、弾性ストッキングを
6~8か月くらいからやめて、メディキュットのようなものを1日中履いていました。
8か月~臨月は、主人に脱がせてもらう事も多くなりました。
産科の先生の意見(浮腫のケアは、産後頑張ればいいのでは?とのこと)で、マッサージ(ドレナージュ)にも行かず、あまり積極的にセルフマッサージすることもなかったです。
まとめると・・・リンパ浮腫だから、妊娠・出産に差し障りがあったかというと、 思ったより差し障りはなく、私の場合は、むくみが多少増えた程度だった。
出産の際は、分娩台の足置き場がクッションで出来ていて、浮腫がある左足は、いきみにくかった。
産後は、リンパ浮腫の左足もそうでない右足も、むくみが出て、右足は数日で引いたものの、左足は一向に良くならず、リンパドレナージュに行ったら速攻で改善した。
 
これ以降の出産レポートは、41歳の高齢出産女性の体験談として、興味のある方だけご覧ください。
出血の話が続きますので、気分が悪くなりそうな方は、ここまでで止めてください。
 
 
 
1回目のトラブルが起きたのは、産院を決め初受診をした1週間後、早朝トイレに行った際、出血し即病院へ。
幸い赤ちゃんの心拍は動いていて、一旦安心して帰宅するも また、流産するんじゃないかという恐怖との闘い、主人と一緒に大丈夫だと信じ祈るような日々を過ごす。会社も1週間安静のため、お休みすることになり、一部の人だけに妊娠をお知らせしたっけ。
出血から1週間後の検診も、ひとまず大丈夫とのことで、その後は順調に育っていき、先生からはエコーで「下膨れのお顔をしている」なんて言われ、主人に似ているとエコー写真を見ては思っていました。
 
 
次は、7月初め 台風の日
夜10時。洗い物してたら急に鮮血がズボンいっぱい広がって、恐ろしいほどの量。即病院へ行き、低置胎盤の疑いで1週間の入院決定。
帝王切開の説明があり、検査していつでも産めるように準備してくれました。
ただ、赤ちゃんのためにももう少しおなかの中にいてもらうほうがいいとの事で、ただただ安静にしていました。
散々脅されたけど、検診のたびに、胎盤が落ち着いてきて、普通分娩の予定になりました。
 
予定日は8月中旬でしたが、
8月9日朝4時半
またまた出血して、早朝から病院に連れて行ってもらいました。
子宮口2センチ、陣痛もまだまだということで、帰宅。
帰宅後、お腹の張りがひどくて、買い物行けないしお昼ご飯も食べられない。
ずっと横になってるけど、痛いまま。とにかく安静の日々を過ごすしかできなくて苦しかった。
 
8月11日 陣痛間隔が10分おき
タクシーを呼ぶも断られ続け、バスに乗ることに。
大橋駅からタクシーに乗って、家を出て2時間弱で病院に着くも、陣痛が遠のいてしまう。子宮口4センチだったかな。
お盆中で、出血も心配なので、入院させてもらうことに。
夜中に破水らしきものがありました。
 
8月12日
主人が休みだったので、一緒に病院内を歩き回ったり、スクワットしたり、子宮口6センチまで広がるも、そこから陣痛間隔が開いてしまい、お産が進まなくなりました。
陣痛を測る機械の音がトラウマになるほど、夜中じゅう陣痛が続き、体力もどんどん消費していきました。
ご飯をしっかり食べるように言われていたので、とにかく出される食事を頑張って食べました。
 
8月13日 入院3日目。
付き添いの主人は早朝から仕事に行きました。立ち合いは諦めました。
血液検査で、炎症の数値が高いため、今日中に促進剤で産むことが決定!
すでに体力も落ちてしまっていたけど、何とか産むしかない!!と、赤ちゃんに会える!!と、強い気持ちだけ持って、一人分娩に立ち向かいました。
 
今まで、陣痛がきたら逃すのに必死だったのに、今度はいきんで!と、言われてもすぐには、適応できず(笑)
ダメダメなお産でしたが、助産師さんの上手なリードがあり、何とか頭が見えてきて、最後は吸引することに。
突っ込んでうまく吸引できず、先生が「おかしい」と連発。
 
こちらは、最後の力を振り絞って気絶寸前……
 
なんと!吸引器が割れていて、吸引できなかった模様・・・・・・・・・・・
 
新しい吸引器がものすごいスピードで出て来て、何とか産むことができました!!!
赤ちゃんの元気な産声を聞いて、安心。
カンガルーケアで、赤ちゃんが側に来て
顔を見たとたん「旦那さんそっくり」って思わず言ったほど、そっくり(笑)
写真も撮ってもらった。
 
そんなやりとりも つかの間…
赤ちゃんがあんまり泣いてない?と、頭をよぎったら、看護士さんがバタバタしはじめ、私の処置をしていた先生は、「NICUに連絡」と指示を出し、そこから赤ちゃんの喉に管をたくさん出し入れしはじめた。
NICUの先生が来て、色んな処置するも改善せず、赤ちゃんは、NICUへ行くことに。
何が起きているのか、理解できないまま、旦那さんに連絡して、至急病院に来てもらうことになりました。
 
処置が終わって、分娩室で安静にしていて2時間位経って、主人が到着し、赤ちゃんに会いに行った。
NICUの先生から 「新生児呼吸不全」との診断で、1週間NICUへ入院と、色々な検査をするための同意書を書いたとの事。
産後、意識がもうろうとしていたせいか、病室に戻ってからも何が起きているか実感できないまま
病名をネットで検索してみても、ピンとこず。
看護師さんには、身体をゆっくり休むように赤ちゃんが言ってるんでしょう…なんて励ましてもらったけど、よく理解できてなかったと思う。
赤ちゃんに飲ませる為に母乳をスポイトで取られ、冷凍することになった。
不安で熟睡はできなかったけど、翌朝を迎えた。
 
8月14日
赤ちゃんに会いに行った。保育器の中で暴れている子がいるなぁと思ったら、うちの子だった。
私もばい菌に侵されて、抗生剤の点滴をしていたが、赤ちゃんも菌が入り抗生剤の点滴を繋がれ、呼吸の管も入れられ、痛々しかった。
保育器の中に手を入れて、赤ちゃんに触る事が出来た。
申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが入りまじり、複雑な気持ちだった。
とにかく私ができることは、1日3回決まった時間に面会と母乳を届けることだけだった。
 
つづく