20世紀になって、現在のような形で「アロマテラピー」が行われるようになりましたが、古代の人々はすでに「香りの力」を知っており、いつの時代も人と植物は共にありました
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
キャンディは、はちみつ好きの単なる妖精ですが、たまーにアロマリーディングをしちゃったりします(笑)
その時、「そうそう!なんでわかったのー?」と、クライアント様がリーディングの内容にやたらと喜ぶことがあります。
セラピストさんたちは、このような経験をたくさんされているかと思います^^この時、とても嬉しいですよね?
でも改めて考えることがあります。
なぜ?このアロマを選んだのか?とか、なぜ?今、必要なのか?
今回は、
こちらのブログ
のテーマ
「薔薇の香りが好きな人の傾向」に戻って書きました。
【西・中央・南アジア】
紀元前1000年頃の出来事
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..... 古代エジプト最後の女王クレオパトラ
古代エジプト・プトレマイオス朝の最後の女王(BC.70~30)。
美貌、優雅さ、教養があり、さらに香りを政治、恋、駆け引きに利用し、ローマ帝国の英雄でもあり、独裁官カエサル(=シーザー BC.100~44)や、その部下のアントニウス(BC.83~30)を虜にしたと言われている。
クレオパトラの有名なエピソードに、薔薇やムスクなどの香料を体に塗り、薔薇の香水風呂に毎日はいり、寝室には薔薇の花を敷き詰めていたといわれている。
..................................................................................................≫情報元:wikipediaより
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女王クレオパトラは、ギリシャの北部、マケドニアの出身であり、アレキサンダー大王の部下であった部将プトレマイオス王の子孫でした。
彼女には3人の兄弟がいました。
上から順番に、姉のベレニケ4世、妹のアルシノエ4世、弟のプトレマイオス13世。
こちらの兄弟姉妹は、あまりというか、仲が最悪だったようです・・・
◆弟、のプトレマイオス13世
クレオパトラが王位に就いたのは18歳。
紀元前51年、亡き王の遺志と王朝の慣例にしたがい、女王は齢10歳の弟、プトレマイオス13世と結婚しました。
しかし、後にクレオパトラとの権力争いに敗れ、自殺をしました。
◆妹、アルシノエ4世
妹アルシノエは、弟のプトレマイオスと手を組んで、姉のクレオパトラに反抗しました。
しかし、その争いに敗れ、捕虜となり、カエサルの慈悲によって処刑されず、トルコのエフェソスへ追放され、軟禁されました。
「彼女はアントニウスに妹のアルシノエを殺害させた」
(フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』十五、八九)より
こちらの記述からわかるように、妹、アルシノエはクレオパトラの刺客によって毒殺されました。
≫ くわしくはコチラを
◆姉、ベレニケ4世
姉、ベレニケは、クレオパトラと異母姉妹の関係であり、母親に共同で国を統治するなど、なかなかの行動派でした。
ファッションや宴会、宝石をこよなく愛し、農民や奴隷など被支配層を軽視したと言われてます。
紀元前46年、生きてローマに連れていかれ、凱旋式にローマ人の眼前を歩かされました。
女王クレオパトラが自殺へ至ったのは、この思い出が脳裏をよぎったのではないかとと推測されています。
「生きて恥をかくくらいなら、堂々と死して身を潔らかに」という考えだったのでしょう。
クレオパトラは、姉の冠姿を「いずれ私も・・・」という気持ちで見ていたというエピソードがありました。
どこの家庭でもあるような、妹がお姉さんに対する羨望の眼差しだったのでは?と思っています。
特にクレオパトラと権力で争ったような記録もなかったです。
女王クレオパトラが政治的にも優れ、おもてなし上手であったことは、とても有名です。
それは、生まれつきの資質というよりも、幼い頃から弟や側近と権力のことで、戦わなければならない環境の中で備わったのではないかといわれています。
身近な血のつながりのある、兄弟姉妹がこのような人間関係だったら、クレオパトラの心の中を容易に想像できますね。
そんな時、薔薇の花の香りが、微風にのってよぎったら、とても心地よく感じたことでしょう。
≫薔薇の精油の心に対するはたらき
クレオパトラが薔薇の香りをこよなく愛していた気持ちがわかります。
※参考情報元については後日まとめてお伝え致します。
................................................では また次回に ♪
クレオパトラの家庭はサスペンスに満ちている!
と思った方は、ぽちっ☆と お願いしまーす ^^