full of love・・・ -24ページ目

full of love・・・

2018.8. 早期の乳がんと宣告受ける
2018.9. 右乳房全摘、右腋窩郭清
2018.10. 腫瘍1.8センチ、リンパ節転移1/10、
     HER2(-)、ステージ2a
2018.9〜2019.1.
EC療法
2019.1〜 ホルモン療法開始(10年予定)

体中痛かった昨日よりは
今朝はマシになりました。

体が軽いと心も軽くなります。



うちはずっと前から
朝はZIP派です。

テレビはつけっぱなしなので
ZIP→スッキリ を見て、

その後なんだけど、こちら地方は
月の前半は バゲット が放送されます。

月後半は通販番組をやっています。
今日は 健◯家族の にんにく生姜 でした。

番組内で体温の話になり、
日本人の60年前の平均体温が、

36.8度だったと。
スタジオでは「えー!」のリアクション。

わたしは闘病中の検温で、
36.7度だったことが多く、
これがわたしの平熱だと知りました。

60年前の人々に近いのですが、
平熱が高いのはよいことらしいので
まあ良かった。

女性の2人に1人は
慢性的な冷えに悩まされているそうで、
生姜が良いことはみんな知ってますわな。

ただめんどくさい、
にんにくもめんどくさい、

擦るのが…。


旦那はすぐ、

「生姜すってー」

とか、食事中でも命令するけど、
そのたびに

(生姜、ありませんように!)

と心の中で願うが、
あるというね(´ー`)…

めんどくさいけど擦ります。



献立の中で毎回生姜を使うという、
生姜料理のお店の店長←コチラ

若いですよ。
生姜パワーだな。






体が痛くて今日はグダグダでした。
毎日大切に過ごしたいのに寝てばかり。

しかし疲労回復のためと思い、
今日はこれで良しとしよう。


そもそも、
昨日が元気すぎて、
午前中から出かけて

ヒトカラ3時間パック。

これはときどき行かなきゃ
どーかなりそうになるんでね、行きますよ。

そのあと用事を済ませ、
帰宅して、

ネットスーパーの品物受け取って
ごはんの準備して、

珍しくずっとヅラ被ってたんです。
やはり髪があるのとないのでは

ずいぶん違うみたいで、
元気になったかのように家族も見ます。

旦那は 耳かきしてくれと、
病気する前みたいにわたしを拘束しました。

旦那の場合、耳かきの後が長い。
眠りにつくまで添い寝しなきゃいけない。

甘えんぼうのままおじさんになって
ただキモいだけになってる(-_-)

その間、食器を片付けるとか、
娘二人もいるのに誰もしない。

深夜に旦那が眠ったすきに抜け出し、
ようやく拘束を解かれたが、

他にもあれこれ、
わたしが動かなきゃどうしようもないことが
深夜まで続き、

元気になったらなったで、
また小間使いに戻るのはごめんだな、と思った。



昨日、動きすぎたら
今日はこのザマだ。

黒にんにくを多めに食べて
ぐっすり寝ます。


街に出かけた。
市電に乗った。

帰りの電車内で、
わたしの前にいた
真面目そうな若い女子が

座ってたのに席を立った。
両替とかじゃなく立ってる。

空席がひとつ、
わたしの前に…






Σ( ̄。 ̄ノ)ノ













席を譲られたのか?

このわたしが…



席を譲られたのか??


あー?







まだ40代だぞ。







( ;∀;)







老女に見えたのか?






副作用かー?






あ゛ー???
相変わらず五十肩は痛いけど、
すこーしずつ治ってきています。

しかし時間がかかるな。
これも副作用のひとつか?

と思ってしまうくらい。
実際違うと思うけど…。


まあ、肩以外は元気だから
筋肉つけたいなということで

下半身の筋トレをやっています。

もう何年も前ですが、
食べないで痩せるとか、

食事置き換えダイエットとかに
限界を感じたとき、

やっぱ運動しかないのか…と理解して
渋々始めた筋トレ。

5ヶ月?で8キロ痩せることができた。
あれはわたしにとって成功体験のひとつ。

それまで万年ダイエッターだったと
言ってもいいくらい気にしてて、

でも大好きな炭水化物やめられなくて
置き換えダイエット成功したこともある。

でもそれは30代前半の話。
同じことしても年を重ねると痩せなくなった。

ビリーもやったなあ。
2ヶ月毎日やって3キロ痩せた。

たった3キロ?と思ったけど、
筋力がアップして動きが機敏になれたのは
それまでなかった収穫で、

食べないダイエットを
だらだら続けることって怖いなと

しみじみ思ったなあ。
今思うともっと前から

運動をする習慣を
取り入れておけば良かった。

適度な運動は
絶対に必要だよな。




昨夜、洗面所で歯磨きしながら
かかと落とし100回と、

スクワットしていたら
長女が入ってきた。

歯ブラシくわえてスクワット中の
わたしをみて

長女も歯磨き中だったため
噴き出しそうになり、
慌ててたのがおかしかった。

変で悪かったな!

母は美と健康のために
これでもがんばっているのだよ。ニヤリ
そういえば今朝の体重、
病気してからいちばん痩せていました。

抗がん剤の副作用で、
少食になったことが体重減少の始まり。

量が食べれない=上手に飲み込めない
だったんです。

副作用が抜けると嚥下は問題なくなったけど、
少食なのはそのままで…

白米や食パン、白い粉物、
白い砂糖、麺類、

甘いジュース、一般的なお菓子類、
ジャンクフード、

なんか甘い市販のドレッシング、
その他、

厳しい糖質制限とまではいきませんが、
ゆるく制限することにしてからというもの、

上記etcのものを見ただけで、
拒絶反応が出てしまうようになりました。

単純な性格で良かったなー。

病気がわかる前より
癌の餌を摂ってないし、

タモキシフェンも飲んでるから
わたしの中に残ってるかもしれない癌様は、

飢餓状態でえらいこっちゃに
なっているはず。

このまま再発しないでいてほしい。
再発の可能性は低いと言われても

1%でもあれば、
それは1/2なんだわ。
50%と変わらないんだわ。

そんな気持ちで日々の食事をしてたら、
そりゃ痩せますな。

質的な栄養失調にならないよう
気をつけなきゃいけないですけどね。

痩せて、髪が近い将来
ベリーショートになったら染めて、

こんな感じの格好をしてみたい。
写真お借りしました。





髪の色は下の方のようにしたいです。
マキシ丈のスカートの上に、

スリットワンピを重ねる感じって、
ベリーショートに合いますね。

大人でもイケると思います。
ピアス開けてないから大きめイヤリング
必要だなあ。

ずいぶんとイメチェンになるけど、
一度やってみたかった
髪型と髪色ができるのは

結構楽しみなんだよな。

あとは髪が伸びてくれれば
問題ないんだけど、待ち遠しいな…




お天気は良かったですが、
今日も出かける気にはならず

一日中 家にいました。
太陽光を浴びたのは洗濯物を干したときだけ。

旦那はすぐに出かけたがります。
朝から長女次女を誘ってました。

長女は用事があって無理で、
次女がしつこく誘われてた。



旦那    ◯◯に散歩に行こう!爆笑

次女    ◯◯? つまらないからやだ。えー

旦那    じゃあ動物園!ニコニコ

次女    行きたくない。えー

旦那    服買いに行こう!照れ

次女    えー?…いい。えー



結構長いこと頑張ってましたが、
次女にも振られて一人で出かけることに。



旦那    こないだママに服捨てられたから
           服買いに行こー…チュー



わたしが無理矢理捨てた感じになってますが、
もちろんそんなことはなく、

旦那の許可を取りながら
断捨離したんです。

そして数日前、
穴の空いたジーンズをはいて釣りに行って

立ったり座ったりした際に
股の部分がバリッと裂けるという事態に…

同行した後輩に指摘されて
気がついたんだって。



漫画かよ。ニヤニヤ



旦那     ママがジーンズ買ってくれんから
            とうとう股が破れた。チュー



だーかーらー、
いちいちわたしのせいにすんなー。ムキー



その翌日、Right-onでジーンズ買ってました。
旦那曰く今は全部柔らかなものばかりだと。

わたしの若い頃って、
7000〜8000円でリーバイスやエドウィンのを
よく買ってましたが、

硬いのが当たり前で、
ストレッチジーンズが出たときは
失礼ながらどこか偽物だと思いながら
履き心地の良さに負けて購入してたなあ。

きっと今も、昔ながらの硬いジーンズも
普通に売ってると思ってましたが、

今はRight-onにも無いんだなあ…
あくまで旦那曰く…ですけどね。



ジーンズ、
痩せてしまったおかげで

前よりユルっと
いい感じに履けるようになりました。

五十肩がもう少し良くなったら
服買いに行きたいな。


昨夜仕込んで今朝の炊きあがりが
楽しみだった最強メシ。

遅めの朝ごはんのとき、
ドヤ顏で出してみた。


↑ わたしのお茶碗によそった分です。
美味しく炊けていました。
わたしは美味しかったし満足しています。



画像ありませんが、
ししゃも焼いたやつと
野菜のお味噌汁

を一緒に出して、
ほか、辛子高菜やごはんですよ、
しらす干し、納豆を

家族が各自お好みで食べる感じです。



最強メシですが、、
家族にはめっちゃ酷評されてしまいました。


旦那     おいしくなーい

長女     白米がいいー

旦那     朝ごはんって、食べて
            幸せな気分になるものなのに……

長女     (辛子高菜としらす干し投入)
            玄米が無理だし大豆もなんかねー

旦那     (納豆を投入)

長女     麦ごはんは好きなんよ
            給食みたいな麦ごはんがいい



人の作ったものに、
ここまで文句を言う家族ってすごいな。

本当に自由な発言ばかりする。
次女が何も言わないからわたしから、

「無理しなくていいよ、なんか味変しな。」

と、促したら



次女     いや、これでいいよ。



次女は健康志向で、
わたしの現在の食生活を取り入れようとしてる。

わりと素直でそこが長所でもあるけど
無理してないか心配になるときもある。

でも次女もしばらーくして
少しずつ自分の好みを言い始めた。



次女     お茶碗のなかで
            大豆の存在が浮いてる。
            白米と麦 8:2がいい。



旦那と長女は言いたい放題だけど、
次女はなんとなく優しい。



最強メシは栄養価で最強であることは
ちゃんと説明しました。

朝ごはんでタンパク質が必要なこと、
足りないとどうなるか、

味は酷評されてしまいましたが、
家族の食べ物に対する関心は、
わたしが病気する以前より
だいぶ高まってる。

会話も増えたし、
それだけでも前より幸せかも。



うちの家族は玄米が苦手のようなので
このような結果になりましたが、

玄米好きな方にはオススメです。
わたしはこれを今後の主食にしたいくらい。


この1週間ずっと家にいます。
正確には家から一歩も出なかった。

週末も出かける予定はありません。
何やら明日は近くで春のお祭りがあるけど、

旦那は行くとか言ってるけど
わたしはいきましぇーん。

近所だし、人目につきたくないよ。


こちら県は桜の開花宣言まだなんですが、
近くの桜はすこーし咲いてるそうです。

日当たりや、色んな条件が良いと
早く咲いちゃいますわな。

花見はこっそり夜行こう、
散歩がてらにね。


五十肩はまだ治りません。
前ほどひどくはないけどまだ不便。

早く治って自転車乗りたい。



体重が少しずつまだ減っていて、
一年前より10キロ痩せました。

一年前は妊娠中を除いた生涯で、
MAX体重でした。

卒業 入学式のスーツ、
ユルユルだったのがパンパンになり

ひどい写真が残ってしまいました。
10キロ落ちたと言っても、

落ちてBMI値が21台なので、
まだもう少し痩せても普通なんです。

見た目 健康体なので問題なしです。



前にヒルナンデスで、
最強メシ なるものを紹介してました。

スガさんという、会社員しながら
料理本出してる方が出てらして、

最強メシ わたしも炊いてみたくなりまして、
今さっき、炊飯器にセットしました。

明日の朝が楽しみです。

 
↑ 完成予定(画像お借りしました。)



昨日WSで長時間やってた話題は
内田裕也の訃報。

ミヤ○屋で1時間半もやってた。

亡くなった芸能人を偲ぶのに
こんなに生前のエピソードが
多い人はいない。

わたしがまだ小学生の頃、
なんでずっと別居してるのに
樹木希林は離婚したくないのか、

内田裕也はなぜ勝手に離婚しようとしたり、
色々問題おこす怖い感じの人なのに
なぜ????

という思いしかなかった。



ひとかけらの純な物があるから


この一点だけを見つめて
魅了されて夫婦を続けたんだなあと、

今の年齢になって やっとわかった。
娘さんと同じく 腑に落ちた感じ。



わたしも20年夫婦やってて、
今となっては旦那のどこが良かったのか

出会ったときに、良いと思っていた部分って、
そのあと続く結婚生活において

それほど大切なことではなかったのでは?
と、もっと考えて相手を選ぶべきだったと

後悔の嵐だった時期もあった。

でもわたしも離婚していない。
夫婦を続ける理由は何なのか。

(病気のことはちょっと置いときます。)



わたしは若いころ、
どんなに頑張っても得られない、
自分には元々欠けているものがあると
イヤになるくらい自覚してた。

わたしは太陽ではなく月タイプ

花ではなく草

子供〜20代までは確実に
劣勢の存在だった。

おいたち、環境がそうしたんだろう。

だからいつも
太陽タイプの同性の引き立て役ばかり。

目立つの嫌だったからそれでもよかったけど、
ときどき惨めに感じていたことも確か。

20代半ばに旦那と出会ったときに
のびのびと育てられた人が持つ雰囲気が

言動の全てから
にじみ出ているなあ、この人は…。

と思った。

予想どおりわたしとは全く違う
躾や教育方針で育てられていた。

のびのび
誠実

そして、溢れ出る明るさ

これがキメ手だった。
おかげで娘たちも友達に恵まれてる。



内田裕也に戻るけど、
わたしは彼が好きか嫌いかと言われたら
好きだ。

ロックンロールとは
「頑張ろう!」と同じ意味らしい。

ひとかけらの純な物を持っている人は
確かに魅力的だ。


樹木希林のモノの考え方も好き。

芯が強くて
適度にゆるくて
面白いこと追求して

同病ということも含め、
こういう生き方をしたいと憧れる。

病気になって以来、
テレビばっか見てるけど、

病気がわかる以前と
見方が変わったのも確か。

特に
人の訃報に敏感になってる。

その人がどのように生きたのか、
どんな人生だったのかに

ものすごく興味を持ってしまう。

わたしも充実した人生を
「生ききったぜ!」
と思いながらあの世に逝きたい。









昨日、久しぶりに実母に会いました。

前に会ったのは9月の終わり
手術で入院してるときに弟と来てくれました。

そのときよりも確実に
老化していました。




実母は40代のころの健康診断で
糖尿病を指摘されつつも無視し、

治療は受けずに
自己管理で体重を落としました。

10年で10キロ痩せ、安心したのかな、
それから数年後に過労で倒れたときに、

血糖値が高すぎて即入院、
それからようやく治療を始め

今は人工透析を受けながら10年以上
過ごしています。

元気なほうだと思います。
しかし74歳の今、

透析してない義母75歳より
ずいぶん老いぼれています。

わたしが病気したことも
負担になっているはずなので

わたしも親不孝だと思いますが
申し訳ないけど老いた母と一緒に

食事してそのあと散策して
昼過ぎに別れるまで

わたしはイライラが止まりませんでした。
ほんとに親不孝だ。




毒親まではいかない実母。
しかしわたしは子供時代に  

実母からたくさんの
八つ当たりや暴言を受け

自己肯定ができない人間になった。

母が運転する車に乗っていたとき、
後ろから追突されたことがあった。

当たった衝撃はそうでもなかったけど
車がへこんだこと、

めんどうなことになったということで
一気に不機嫌になり、



「あんたと一緒にいると
いっつも嫌なことが起きる!」



小学生のときに実母に
このようなことを言われたら

落ち込みますわなあ。
自分は価値のない人間だと思ってしまいますよ。



追突された時の話はほんの一例。
他にもたくさん傷つけられてきました。

わたしが禿げた頭部の写メを載せない理由、

実は頭の形がいびつ過ぎて
見せられないからなんです。

乳幼児期の虐待を疑っています。




わたしの代わりに溺愛していた弟が
成長過程で荒れて大変だったのですが、

そのころからようやく、実母は
優等生のわたしを心の拠り所にし始めました。

大切なのは息子。
支えは娘、といったとこでしょうか。



まあ昔のことはもういいんですが、
今でも実母の言動には

嫌悪感が拭えないことがあります。
それにプラスして、

老いによる若干の難聴、
言葉足らずで支離滅裂の話、
歩くスピードの遅さ、
自分は何も調べず何でも聞いてくる、
無知、

あげるときりのないポンコツ加減。


やはり大事にされなかったわたしは
実母がいよいよのとき、

世話はできないと思います。




母の生き様を見てきて、
わたしは糖尿病に気をつけるようになりました。

結果、血糖値で指摘されたことはないです。
今も気をつけてはいますけど。

親は自分の命をかけて、
子に病気の怖さや、
食生活の大切さを教えてくれる存在である

…という話を聞いたことがあります。

その点では感謝しています。

わたしは別の病気になってしまいましたが、
糖尿病の予防の知識は役立ってるし。

これからは
わたし自身の生き様を娘たちに見せることで

娘たちは健康でいられるかもしれない。
反面教師でも教材でもいい
 
こんな病気になるのは
わたしだけでたくさんだ。




実母は食事の後、
新天町に行きたいと言った。

お土産にお菓子を買いたいと言っていた。
お菓子屋?と思いつつ、

左衛門やら千鳥屋、村岡屋などを想像してたら
母がわたしを呼び止めた。



「ほら、ここ、ここに入ろう。」



振り返るとそこは
フォンテーヌの医療用ウィッグの店だった。

おそらく最近できた店。
真新しかった。

実は、母は少し前にも用事のついでに
ここを訪れていた。



「入ろうよ、早く。」



と急かされたが、
ウィッグはもういいからと言って遠慮した。

母はわたしに医療用ウィッグを
買ってくれるつもりだったらしい。

なんとも不器用で
愛情表現も何もかもが下手というか

一言で言うと未熟な親だ。

おそらくはもうあと10年
生きられるかはわからない母。

わたしが病気したときも悲しんで….、
でも一瞬で気持ちを立て直した母。

8月、電話の向こうだったが、
あのときのスイッチの切り替えは
見事なものだった。

わたしが泣きそうになった瞬間
強い母に切り替わったのだ。

若い頃の八つ当たりや暴言も、
今となってはわからなくもない。

色々あっても、やっぱり母は母親だ。
わたしのことが心配なんだな。

わたしはこれからも母にとって
優等生でいれば母は幸せなんかな。

母のためにも、
わたしは完全復活しなきゃいけない。





母がいよいよのとき、
世話を出来るかどうかは置いといて(^◇^;)…