「後悔先に立たず」と言うけれど、後悔ほど後からきっちりやってくるものもない。私も人生で数えきれないほどの後悔を抱えてきたけれども、後悔って、別に悪いものだけのものではないよね。

後悔があるからこそ、未来への指針が変わる。後悔があるからこそ、未来への行動が変わる。

思い出すだけで胸が痛くなる悲しみや苦しみもあるけれど、それがあるからこそ、これからの行動や言動が変わる糧になっていることも間違いないわけで。

大人はみんな後悔を抱えている。

大事なことは、後悔に飲み潰されることなく、後悔と折り合いをつけて、後悔と適正な距離をとって、つらい思いを抱えつつも、今と未来を楽しく暮らしていくための糧にすることなんじゃないかと思う。

苦しみや悲しみが、幸福の源泉になることは確かにある。

それをきっちりと了解した上で前へ進めることが、大人であることの条件なのかもしれん。



そう思えないことも山ほどあるけれど、結局、自分の人生に起きる苦しみや悲しみの出来事は、自分で処理出来るレベルのことしかないんだよなあ。

15才の時の死にたくなるほどの苦しみだったものも、25才になったら、「なんで、そんなことで悩んでいたの?」っていうことにもなるし、40の時に起きた悲しみも、50才になったら「その悲しみがあったから、お前はまともな人間に近づいたんだろ?」って思える。

苦しみも悲しみも恨みもつらみも憎しみも、時間と何かのきっかけと見方の変化によって変わる。

おもろいことに、かつての死にそうな悲しみこそが、自分を優しい人間であらしめる原動力になったりする。

だからこそね、それを乗り越えて幸福をゲッツした大人は、若者に対して色々と語るべきだと思うんだよね。


「今はつらいだろうけれど、10年経てばそれも人生の糧になるよ。」とか、「今、思い出しても苦しい出来事だったけれど、あれがあったからこそ今の私があると20年経ってそう思えるよ。」とかってことを。

自分の経験した苦しみや悲しみが、誰かを救う優しさになることは、いくらでもある。

自分を開いて出せばね。
開くことは大事。

とても大事。






俺は明日から、ズボンのチャックは閉めないで全開にして生きていくことにする。

捕まらない程度にね。(笑)