40歳の人なら40年、50歳の人ならば50年間、生きてきたわけなので、自分の人生を否定されたかのようなことを言われたら、微妙な気持ちになるのも当然ですよね。



でも「違う方法論」や「違う思考法」を提示する必要はあると思うんですよ。


それはね、人によっては「厳しい意見」であるかもしれません。



ただ、私としては、「それに気付くこと・気づいた上で変えていくこと」が、その人のこれからの幸せな人生の為に必要であると考えているので、言うべきことがあった場合、伝えさせてもらっています。



応援が必要な人もいれば、励ましが必要な人もいれば、共感が必要な人もいれば、違う視点が必要な人もいれば、客観的視点が必要な人もいれば、別の方法論が必要な人もいます。


それは、別々に単独で成立しているわけではなく複雑に絡んでいますし、「別の方法論」を考えてみた方が良いところもあるわけで。


今はそれよりも悲しみや苦しみを癒やすための「共感的な理解」が必要だなあ、って人もいます。



でもね、励まして応援すべき場合と、そうでない場合ってのは厳然としてあります。


全てはケースバイケースなわけですが、私の中の、「その人の、この先のウルトラハッピーライフの為に♪」っていう軸は変わりません。




私が言いたいことは、「あなたが目の前の人に嫌われず、出来ればすんごい好かれること」ではなくて、「あなたが、3日後、3ヶ月後、3年後、穏やかに、幸せに過ごせていけること」。

その為の貢献が出来たら、素敵なことだなあ、って思ってます。




「ありのまま」「今のまま」
「変わらない」「変われない」


それらは、本当に自分に対する応えなのかな?






最近、保育を学ぶ学生と話す機会があり、その中の言葉を考えています。

「子供と関わることは、未来へと繋がることだから楽しいの。」






私たちにも、まだ誰も知らない未来があるはず。


そう思うのです。