にじの日。

学校へ行くときと、ピアノの練習から帰るときの2回、私はにじを見ました。

私のおばあちゃんは、病気で亡くなりました。 そのときにじが出ていたので、にじを見ると私の家族はみんな、「おばあちゃんだ」と言います。

にじはとても不思議です。にじを見ると落ち込んでいるときにも元気になります。にじが勇気をくれます。にじは本当に不思議です。


今日はにじの日でした。明日もにじの日になったらいいです。



とある小学生の女の子が書いた作文からですが、この文章は、見事に人の心を打ちますね。

それは、彼女が明確に、「伝えたいことを伝えたい人に伝える」っていう方法論を取っているからだと思うんですね。
「この文章を書いて、それを誰に伝えたいか?」ってことで言えば、彼女が意識しているかどうかは別として、それはもう明確に完全に「おばあちゃん」と「自分の家族」ですよね。


「虹が出る=おばあちゃんがいる」


っていう設定は、彼女と彼女の家族の独自の設定であるわけですが、その度におばあちゃんを思い出し、優しく暖かな想い出が想い出されるのであろうことと、「元気になり、勇気をもらう」ってことが書かれていて、その思いが強く伝わってきます。

私はね、最後の、


「今日はにじの日でした。明日もにじの日になったらいいです。」


っていう文章に、「明日もおばあちゃんに会いたいです。」っていうようなメッセージが込められている気がして、強い感懐を得ました。

やさしさを盛大に浴びて育ってやさしい子になったのでしょうが、そのやさしい気持ちが見事に文章に現れていますよね。

それはやっぱり、「ラブレター」だからだと思うんです。

「相手に気持ちが伝わる表現」っていうのは、基本的にラブレターであり、その言葉遣いや単語や言い回しを替えて、一般化したものが「相手に気持ちが伝わる表現」になる、ってことを教えてくれる大変すばらしい例だと思うんです。