「マイ・フレンド・フォーエバー」という映画があります。


Wikipediaより
エリックの家の近くに、ある少年が引っ越してきた。彼の名はデクスターといい、HIVに感染していた。初めは彼を警戒するエリックであったが、次第に打ち解けあい、友情を深め合う。
ある日、エリックとデクスターは「エイズの特効薬が見つかった」という話を耳にする。彼らはそれを探し求め、二人で旅に出るが…。
   

ちょっとスタンドバイミー的な香りのする映画ですが、その旅の途中、夜、テントで寝ている時に、うなされて起きたデクスターが言います。

「宇宙の直径は180億光年だって知ってる?

その先をさらに180億光年進むと、きっと何もない。

その先を一兆倍進んだら もう何も見えない。

宇宙の光が届かない距離だから 死ぬほど寒くて死ぬほど暗い。

時々夜中に目が覚めて 真っ暗だと 怖くなるんだ。

僕も宇宙にいて もう戻れないような気が・・・」    


それを聞いたエリックは、自分の履いていたスニーカーをデクスターの前に出し、言います。


それを抱いて寝ろよ。

目が覚めて怖くなったらこう思うんだ。

「これはエリックの靴。

僕はこんな臭いスニーカーを抱いてる

宇宙であるはずがない

ここは地球で エリックはすぐそばにいる」






多分、人はそもそも孤独なのでしょう。

人は孤独に産まれてきた。

孤独に産まれてきて、泣いて、

母親の暖かい胸の中、庇護の中で育ち、そこから離れ、孤独を感じ、

誰かと出会い、離れ、孤独を感じ、

誰かと出会い、別れ、孤独を感じ、、、  


ただ思うのは、そもそもが孤独であること、そもそもが180億光年先の光も届かない、暗く、寒く、戻ることのできないような孤独である、ってことを受け入れられたら、たった1つのスニーカーがいかに暖かいかがわかる。

その絶対的孤独を受け入れたら、自分が孤独であることなんてありえない、ってことも受け入れられる。

言ってることが伝わっているでしょうか。 

私の体験的事実から言うと、精神的に、光の一切届かない暗く冷たい宇宙の闇の中に放り込まれたような孤独を感じてからの方が、孤独感を感じることは少なくなりました。



この世に生きているという事実だけみても、孤独ではありえない。