はじめて会ったのが2013/11/15。

ちょうど10年のつきあい。



初診時から訪問診療。

脳梗塞後遺症による右半身片麻痺と運動性失語症。

運動性失語症とは、脳のブローカという発語の障害のため、

聞いて理解はできるものの、発語ができない、という病気。

このために、診察時はイエス・ノーの会話にとどまってしまう。



本人にとっては、もどかしい現象であろう。

が、穏やかなキャラを通した。



訪問診療開始後半年で、夕方の微熱が続いた。

病院からの紹介状を見ても、結核の病歴はなかったが、

状態的に十分疑えたので、しつこく喀痰検査。

G6レベル(濃厚)な結核菌排出者のため、法的に必要な入院加療。



2ヶ月入院し、結核治療内服を8ヶ月、経過観察を2年行った。



以後、誤嚥肺炎を発症することもなく、室内で、ずっとベッド上の人生。



半年前から血尿・血便。

食事の量が低下。

採血してみたら、消化器系の腫瘍マーカーが少し上昇。



入院もなく、CTもせず、エコーもやらず、

ただ経過をみた。



本人からの苦痛の訴えは一度も無し。

食事量が減って、三日前から喘鳴が始まって、初診記念日に亡くなった。

実に穏やかな亡くなりかた。

顔もおだやかそのもの。



この人の死に方をみてると、死も悪くない。



10年間、一度も会話が無かった。



どういう人生だったんだろう?

毎日 何考えていたんだろう?



全て ナゾのままである。



人間ってのは、置かれた逆境で、それなりに生き続けるもんだ。

と教えてくれた患者さんである。



敬意でお見送り。

その場に家族はいない。







お見送りは今週2回目のようだ。

この先生は患者たちの声なき心を
どのように見つめて
私たちに何を伝えようとしているのだろうか。


ある意味、人間の原点をしっかり学びたいと思う。